釣り上げ

Kさんは幼い頃から何度も「上に釣り上げられる」体験をしているという。
ふとした時に身体がすっと上に浮く感覚がある。実際に身体が浮くわけではなくて、感覚だけが上に引っ張られる。
足が地面を踏んでいる感触が不意になくなり、視線を下げると自分の頭頂部がすぐ下に見える。
幽体離脱みたいな感じですか、と尋ねるとKさんは少し考えてから首を横に振った。魂が身体を離れるという感じでもなく、感覚だけが身体から浮くのだという。その状態でも身体は普通に動かせるらしい。
初めてこれを体験したのは六歳のときで、数分でおさまったもののかなりパニックになった。泣きわめきながら母親に訴えたが、残念なことに信じてもらえなかった。
それ以来同様のことがあっても人には話さず、体験したことを注意深く観察するようになった。どういうことが起きているのか知りたかったからだ。
その後ひと月に一度あるかないかくらいの頻度で同じことが起き続けた。高さはまちまちで、視点が頭のすぐ上程度のこともあれば天井あたりまで上がることもあった。
自分の意志で浮いたり戻ったりすることはできない。いつもそれは不意にやってきたが、何かに集中している時や横になっているときには起こらなかった。
自分でコントロールできないので、浮いているというよりは誰かに釣り上げられているような気がずっとしていた。
何度か体験するうちに慣れてきて、その感覚に襲われてもああまたかと思うくらいになってきたが、そのうちに一度だけ不可解で恐ろしく思った出来事があった。
小学校の放課後に友達と一緒に帰っていたときのことだ。いつものように足元の感覚がなくなったので、まただと思っているうちにすぐに視覚が浮いた。
自分と友達の頭を一メートルほど上から見ている。自分の身体は何事もなかったかのように歩いている。
唐突にそれまで抱いたことのない疑問が浮かんだ。見下ろしているのが自分なら、下に歩いているのは一体誰なんだろう。
そのとき下の自分が急に上を仰いだ。目がはっきり合った。無表情な自分の顔が自分を見ている。
あれは自分だ。じゃあこっちの自分は誰なんだ。
下の自分はすぐに前に向き直った。その瞬間に浮き上がっていた感覚も元に戻った。
隣を歩く友達は何も気づかない様子だった。
はっとして上を向いたがもちろん浮いている自分など見えず、ただ空が広がるだけだった。
数秒前に自分の身体は一体どんな光景を見たのだろうか。


下にいる自分と目が合ったのはそのとき限りだった。
あの自分の顔のようで自分でないような、どちらが自分なのかわからない感覚と、こちらを見上げる自分の無表情な顔はずっと忘れられないのだという。