転落

五年前の話だという。Hさんが職場に通う途中に神社の石段がある。
両側に手すりはあるものの、見上げるような長い石段で、勾配も急だ。
時折、神社にお参りする老人がよたよた上り下りしているのを目にしていたが、転げ落ちはしないかと心配していた。だからそこを通る時にはつい石段の上が気になって、見上げながら歩いていた。
その朝もいつものようにそこを通りかかったHさんは、石段の上に視線を向けた。すると何かが上から転がってくる。
人だ。
足を踏み外したのか、誰かが石段を勢いよく転げ落ちてくる。
いけない、と咄嗟に腕を伸ばしながら駆け寄ったが、間に合わない。Hさんの目の前で石段の下の石畳に叩きつけられる。
ズダンッ!!
物凄い音が響き、足元が衝撃で揺れる感覚があった。
しかし目の前には誰の姿もない。
見回してみても、人の姿も、人が目の前に落ちた形跡もない。
石段の上を見上げても誰もいない。
それどころか、たった今目の前に転げ落ちてきたはずの人がどんな姿をしていたか、どうにもぼんやりとしていてはっきり思い出せない。
――こんなのは普通じゃない。
Hさんは足早にその場を離れ、それ以来そこを通るときは石段の上を見上げないように俯いて歩くようになったという。