ポスター

正月に帰省したKさんが三ヶ日も過ぎて川崎のアパートに戻ってきた時のこと。
実家を出たのがもう夕方のことで、途中で夕食も済ませてきたのでアパートに着いたのはもう夜の十時を過ぎていた。
一階でエレベーターを待っていると、背後から「こんにちは!」と元気な声が聞こえてきた。若い女性の声だ。
辺りを見回したが誰もいない。アパートの通路にも人影はないし、前の道路にも通行者はいない。
どこか近くの家から聞こえてきたんだろう、と思ってエレベーターに向き直るとまた――。
「こんにちは!」
確かにこれはすぐ近くから聞こえている。近所の家どころではなく、ほんの近距離からだ。
周りに他の誰かの姿がないのだから、自分に向かって言っているのだろうか?
一体誰だ、ともう一度見回して、壁に貼ってあるポスターに気が付いた。
選挙か何かのポスターで、こちらに微笑む女性と大きく日付が書かれている。
Kさんはその女性とはっきり目が合ったような気がした。こちらを向いた写真なのだから目が合ってもおかしいわけではないのだが、なぜかこの時はその女性がはっきりとこちらを見ているように思えてならなかったのだという。
しかしまさかポスターが挨拶してくるわけはないしなあ、とKさんが苦笑したそのときである。
「こんにちは!」同じ声がした。
Kさんはポスターの女性の唇が動くところを確かに見たという。
反射的にKさんはポスターに向かってぺこりと頭を下げ、こんにちは、と挨拶を返した。
視線を上げないまま、すぐに来たエレベーターに乗って一階を後にしたが、エレベーターを降りた後でふと(こんな時間なのになんで「こんにちは」なんだよ……)と首をひねった。


翌日恐る恐る一階に降りてみたものの、昨夜のポスターはどこにも貼られていなかったという。