岩場の上

Wさんが職場の友人とタイに旅行に出かけた。
プーケット島ではボートで海を巡るオプショナルツアーに参加し、いくつかの入江や岩礁、小島を回った。
その最中、海上から海岸の岩場にふと目をやると人が二人立ってこちらに手を振っているのが見えた。
オールを上げて応えたが、ボートがそちらに近づくうちに何だかその人影に見覚えがあるような気がしてきた。
顔が見えるくらいの距離にまで来て、既視感は確信へと変わった。


お母さん!? 隣は叔母さん!?


確かにそれはWさんのお母さんとその妹である叔母さんで、よく見知った笑顔のままこちらに手を振っている。
服装も見覚えのあるものだった。
なんでこんな所に? タイに行くなんて聞いてなかったのに……。
すぐにそちらに行って話を聞きたかったものの、ツアーの最中で勝手にインストラクターの元を離れるのもまずい。
後で連絡を取ろうと考えたWさんはお母さんたちに手を振りながらその場を後にした。
ホテルに着いてからWさんはお母さんの携帯に電話をかけた。
お母さんはいつもの調子で電話に出て、旅行はどう、やっぱりそっちは暑いんでしょ、などと言う。
なに言ってるの、さっき会ったじゃない。お母さんたちも来るなら言ってくれればよかったのに。
Wさんがそう言うと、お母さんの返事はこうだった。
「変なこと言わないでよ、あんた今タイに行ってるんでしょ、会うはずがないじゃないの」
だってさっきお母さん、岩場でこっちに手を振ってたじゃない、叔母さんと二人で。
Wさんのその言葉にお母さんは少し言葉に詰まった様子だったが、すぐに心配そうな調子で言った。
「ねえ、それ何か変なもの見たんじゃないの。私ずっと家にいたよ。もしあんたの言ってることが本当なら、ちょっとこの先気をつけた方がいいかもよ……?」
どう聞いてもとにかくお母さんはタイには来ていないという。
それではあの時見たお母さんと叔母さんは誰?
お母さんの言う通り、何か悪いことの前触れか何かなのだろうか。
一抹の不安を抱えたものの、その後の旅行は特にトラブルもなくWさんは無事に帰国した。
その後お父さんに尋ねてみても、お母さんはずっと家にいてタイになど行けるはずがなかったという。


しかし岩場の上に立っていたのは確かにお母さんと叔母さんの二人でそれは見間違えるはずがない、とWさんは言うが、結局それが何だったのかは謎のままである。