早すぎた

Nさんという男性は高校生の頃に父親を事故で亡くし、それから二十代で結婚するまでは母親と二人暮らしだった。
ある日仕事から帰ってくると、何やら母が涙ぐんでいる。そして家が線香臭い。
何かあったのかとNさんが尋ねると、涙ながらに母は語った。


一人で昼食を済ませ、片付けをしていると玄関のチャイムが鳴った。
すぐに出て行くとそこにいたのは亡くなったNさんの父親だった。
亡くなった頃そのままの姿格好で玄関先に立っている。
えっ、とその姿を見て二の句が継げないままの母に向かって、父は言った。
「孫の顔を見に来たんだけど。いる?」
母の心臓は全力で走った時のように激しく脈を打った。
「あ、あの子、まだ結婚してない。孫なんて」
しどろもどろにそう答えると、父はしまったというような顔をして頭を掻いた。
生前によく見せた仕草だ。
「早すぎたか。じゃあまたそのうち」
そう言って父は身を翻し、一歩踏み出してそのまま陽光に溶けるように消えた。
それから母はNさんが帰ってくるまでずっと、仏壇に線香を上げて泣きながら父の写真を眺めていたのだという。


そういうことがあったからというわけではないが、Nさんはその翌年、同僚の女性と結婚した。
更に一年後、長女が生まれ、また二年ほどして長男も生まれた。
今では長女もそろそろ成人を迎えるが、またそのうち、と言ったという父はその後まだ姿を見せていない。