猿がいる

ショッピングモールの事務室で働くFさんの話。
休みの日に彼氏と出かける、と言っていた同僚の若い女性の様子が休み明けの数日ずっとおかしい。
彼氏と喧嘩でもしたのだろうか……とも思ったが、それにしては何だか妙に周りを気にしたり、何もないのに突然ビクッと驚いたり、どうも怯えている様子だ。
何か困ったことでもあったのと聞くと、同僚はいささかためらいながらも「実は……」と話し始めた。


彼氏と二人で一泊の旅行に行き、温泉宿に泊まって何ヶ所か観光地を周り、帰ってくるまでずっと楽しかった。
だが彼の運転する車で送ってもらって一人で家に入った時、何だか獣臭さを感じた。
しかし家の中をくまなく探しても臭いの原因になりそうなものは見当たらない。
ただ、探しまわっている間に視界の端に何度か茶色いかたまりが見えることがあった。そちらに目を向けても何もない。
ついさっき別れたばかりの彼氏に電話して来てもらったが、彼には獣臭さは感じられないという。
ちらちら見える茶色いもののこともあってすっかり気味が悪くなった同僚はその夜は彼の家に泊まることにした。
彼の家では特に何もおかしなことは起こらなかったが、翌日出勤する途中の道ではまた視界の端に茶色いものが何度も見えた。
何度も見えるうちにだんだんそれが何なのかはっきり分かるようになってきた。
茶色い毛がびっしり生えた猿か何かがじっと座っている。歩道に、駅の階段に、電車の中に。
はっきり見ようとするといなくなるが、確かに目の端に映る。
そしてこの数日は袖や髪の毛を誰かに何度も引っ張られた。
その瞬間は見えないが、あの猿のしわざに違いない。
これからどうなってしまうのか、怖くて怖くて仕方がない。


落ち着かない様子でそう語る同僚に、Fさんは戸惑いを隠せなかった。見回してみてもそんな猿などいない。
同僚の気のせいとしか思えないが、これほど怯えている辺り、心の病気を疑ってしまう。
とりあえず病院で診察してもらったら、と勧めたFさんだったが、次の瞬間。
同僚の長い髪の毛が一房、ひとりでにグイッと逆立った。
まるで後ろから誰かに引っ張られたような動きだったが、彼女の後ろには誰の姿もない。
呆気に取られたFさんの目の前で、同僚は頭を抱えて泣きわめいた。
次の日からその同僚は出勤してこなくなり、半月ほどで退職してしまったのだという。