映るもの

Sさんは大学受験に失敗して一年間浪人生活を送った。
自宅にこもっているとついつい怠けてしまいそうなので、週に四日ほどは電車で一時間ほどかけて予備校に行っていた。
予備校に行く日は大体朝の七時くらいに家を出て、授業の終わるのが午後四時頃。
それから自習したり寄り道したりして、帰りの電車に乗っている時刻にはもう暗くなっているのが常だった。
勉強疲れからか電車に揺られているうちにうとうとして、はっと気がつくと自宅の最寄駅直前ということもよくあった。
その日も電車のシートに体を預けて居眠りしていたところ、はっと目が覚めた。
窓の外はもうすっかり暗く、どの辺りまで来たのかは判断できない。
腕時計を見ると時刻の上ではまだ到着まで間がある。どうやら寝過ごしたわけではなさそうだった。
ほっと安心して周りを見ると、同じ車両にほとんど乗客がいない。と言ってもそれはSさんの家に近いあたりでは珍しいことではなく、通勤・通学の時間帯以外になるといつも数えるほどの乗客しか乗っていない。
まだ少し眠気はあったがもう一眠りしてしまうと今度は乗り過ごしてしまいそうだったので、窓の外に流れる疎らな街灯を眺めながらぼんやりしていた。
そうして一分ほど正面の窓ガラスを眺めていたところでふと奇妙なことに気が付いた。
車外が暗いから窓ガラスにはシートに座るSさんの姿が映っている。そして、その隣にももう一人の姿が映っているのが見えるのである。
しかし横を見てもSさんの隣には誰も座っていない。ガラスに映っているのは誰だ。
ドキッとしてまた窓ガラスに視線を向ける。やはり自分の隣に誰かがいる。顔はなぜかはっきり見えない。ただあくびをするように口を大きく開けている。顔ははっきり見えないというより、鼻から下しかないようにも見えた。
ずっと口を開けたままだから、あくびではなく叫び声を上げているのかもしれない。
上半身は白っぽい色の襟のない服を着ているのがわかるが、腹から下はガラスの端より下になってしまっているので見えない。体格はほっそりしているが、性別はよくわからなかった。
窓の外を通過してゆく街灯や民家の明かりが窓越しにその人の姿に透けて見えるから、窓の外に誰かが張り付いているというわけでもなさそうだった。
見ていることに気づかれてもまずいと思い、自分がその人物に気付いたことを悟られるのもいやだ。Sさんはすぐに目を伏せて駅に着くのをじっと待ち、目を伏せたまま電車を降りたのだという。


Sさんはそれからも受験が終わるまで同じ電車で予備校に通い続けたが、車内で居眠りはほとんどしなくなり、そのためか同様の体験はそれ一度きりだったという。