衣装ケース

十五年ほど前のことである。
ある会社で、従業員の女性がひとり、始業時間になっても現れない。仮にその女性をAさんとする。
電話をかけても誰も出ないので、仕方なくAさんの実家に連絡した。
早速Aさんの母親がAさんの暮らすアパートを訪ねてみたが、やはり誰もいない。
警察に届けたほうが良いだろうか、と迷っているところにその警察から連絡が来た。
ガードレールを越えて川に飛び込んだ車があり、乗っていた女性は意識のないまま病院に運ばれた。
その車が、Aさんのものらしいというのである。
血相を変えて両親が病院に駆けつけると恐れていた通りにそれはAさんで、すでに息を引き取ったあとだった。
事故現場にブレーキ痕が無かったことなどから、事故はAさんの脇見運転によるものというのが警察の見解だったという。


そして葬儀を控えて、Aさんの服や持ち物を確認しに改めて母親がアパートを訪ねた時のこと。
クローゼットの中の衣装ケースを開けようとしたところ、妙に抽斗が重い。
おかしいな、と思いながら力を込めて引っ張ってみると開いた抽斗からバシャッと水が溢れた。
なぜか一杯に水が入っていて、仕舞ってある衣服がその中にゆらゆら浮いているのである。
ひとつだけではなく、全ての衣装ケースが同じ状態になっていた。
誰が、なぜそんなことをしたのだろうか。
Aさんの部屋なのだから彼女自身がそんなことをしたのかもしれないが、理由が考えられない。
施錠してあったから、他の誰かがその部屋でそんなことをしでかしたとも思えない。
ただ、母親には水浸しの衣服が川に落ちた娘とどうしても重なって見えて、涙が止まらなかったのだという。


この話を聞いたのはごく最近のことだが、十五年前の冬には私も破れたガードレールを見ている。
私がそこを通りかかったのは夕方の事だったが、前日までは何ともなっていなかったように思う。
はっきりした日付までは覚えていないので確かなことは言えないが、場所はAさんの車が事故を起こしたのと同じようである。
幅二十メートルほどの小さな川だが、真冬のことで水は冷たかっただろう。
果たして、衣装ケースの中の水は水道水か何かだったのだろうか。
――あるいは、川の水ということはなかっただろうか。