テレビのない家

Tさんは小学校を卒業する頃まで、家でテレビを観た記憶がなかった。
それまでずっと家にはテレビがなかったのだ。
情報源は新聞とラジオだけだったが、それで特に不自由も感じなかった。
ずっとそんな環境で育ったので、Tさんはテレビはかなり貴重なものだと思っていたくらいだった。
友達の家に遊びに行ってテレビが置いてあるのを見るといつも感心していたが、やがてどこの家にも大抵テレビがあるものだと気が付いた。
子供心にTさんは「自分の家は貧乏だからテレビが買えないのだ」と考え、親に気を使ってそれからも家ではテレビの話題には触れないようにしていた。
しかしもう少し経って小学校を卒業する頃になると、どうも違う事情があるようだと思うようになった。
確かにTさんの家はそれほど裕福でもなかったが、テレビを買えないほど暮らしに困っている訳でもないと気が付いたのである。
それである時Tさんは両親に尋ねてみた。
なんでうちにはテレビがないの?
両親は目を見合わせて少し黙りこんだが、ややあって母が何やら心配そうな面持ちをして言った。
「あんた、何にも覚えてないの?」
両親の話によると、こんなことがあったということだった。
Tさんがまだ三歳のときのことである。
当時はまだ家にテレビがあった。
ある日の夕方、Tさんにテレビ番組を見せておとなしくさせておいて、母が夕食の支度をしていたのだという。
すると突然台所にTさんの火の付いたような泣き声が響いてきた。
何があった!?と母が居間に駆けつけたところ、そこには不可解な光景があった。
テレビの前に座って泣き叫ぶTさんの腕を、別の腕がグッと掴んでいる。
その腕はなぜかテレビの画面からにゅっと突き出している。
絵の具を塗ったように真っ赤なその腕は、テレビからTさんのところまで二メートルほども伸びていた。
母が咄嗟に近くにあった電話帳を拾ってその真っ赤な腕に振り下ろしたところ、柔らかい手応えを残してふっと消え失せたのだという。
その日帰宅した父はすぐにはその話を信じなかった。
Tさんの二の腕に残る掴まれた痕を見ても、気のせいだと一笑に付した。
しかしその次の日曜日、今度は父の目の前でテレビから真っ赤な腕が伸び、再びTさんの腕を掴んだ。
父がビール瓶で叩くとまた腕は消えたが、またいつテレビから腕が出るとも限らない。
二度ともテレビから出てきたのだから、しかたなくテレビを処分した。
それ以来ずっと腕が出てきていないので、テレビも買わないままなのだと両親は言う。
そんな話を聞いてもTさん自身は何も覚えていなかったし、にわかには信じがたい。
もう小さな子供でもないのだし、腕を掴まれてもなんとかなる。
Tさんがそう主張すると、初めは渋っていた両親もだんだんテレビを買う気になってきたらしい。
それから少ししてTさんの家に再びテレビが設置されたが、赤い腕など出てくることはなかったという。
だからTさんは、両親の話についてはテレビを買わなかったことへの単なる言い訳か何かだと疑っている。