十年近く前のことだという。
新車を買ったUさんが早速、次の休日に彼女を連れて隣県の峠にドライブに行った。
高台の公園で彼女の作った弁当を食べ、あとは街に下りて買い物でもして帰ろう、という時のことである。
助手席の彼女が「あれ、火事?」と斜め前方を指さした。
山の斜面から、黒い煙がもうもうと上がっているのが見える。
火事?
しかし、それにしては煙は一筋しか伸びていない。
山火事であれば、もっと広い範囲に燃え広がるはずではないのか。
「誰か、焚き火でもしてるんじゃないの?」
Uさんはそう答えて、視線を正面に戻した。
彼女は「そっかー」と返事をしてそのまま煙の方を眺めていたが、数分してまた呟いた。
「煙、動いてる……?」
彼女の言葉にUさんも煙の方を向くと、心なしか煙の位置が違って見えた。
先程煙は斜め前方に見えていたのだから、前に進めば煙に近づくのは当たり前だ。
しかし、それにしても近づきすぎている気がする。
近づいてゆくにつれてはっきり分かってきた。
煙が立っている位置は、確かに動いていた。
しかも、車道の方に近づいてきている。
車と同じか、それ以上のスピードのように感じられた。
こっちに来る!?
そう思った次の瞬間、真っ黒な煙の柱が道路を横切って斜面を降りていった。
思わずUさんは急ブレーキを踏んだ。
煙が木々の向こうに消えてから、車を下りて周りを見回してみると、煙が通ってきた辺りには火が燃えたような跡などどこにもなかった。
とにかく帰ろう、と車に乗り込もうとした時、新車が酷く煤で汚れていることに気がついたという。