映らない

Tさんが友人と酒を飲んで帰った夜のことである。
顔を洗ってから寝ようと洗面所に入ったところで異変に気が付いた。
鏡に顔が映らないのである。
首から下や、背後の壁はきれいに映っているのに、なぜか顔だけがぼんやり黒ずんでよくわからない。
顔の位置をずらしても同じなので、鏡が汚れているわけでもない。
酒のせいで目がおかしくなっているのか、と思いながら目を擦って何度も見直すが、やはり顔だけが見えない。
何なんだ一体、と鏡に顔を近づけてみると、急に周囲が暗くなった。


次の瞬間、はっと気がつくとなぜかそこはベッドの上だった。
帰宅してからいつの間にか眠っていたようで、どうやら洗面所の出来事は夢だったらしい。
起き上がってみると、首筋から腰の辺りまでじっとりと汗をかいている。
しかし妙に現実感のある夢だった、と一息つきながらまた横になった。
「なんで顔が映らなかったんだろう……?」
何となく夢の内容が気になって、ぽつりと呟いたその時である。
「なんでやと思う?」
突然、耳元で男の声がした。
生温かい吐息が耳に感じられたほど、近くで声が聞こえたという。
咄嗟に跳ね起きたが、ベッドの周りには誰の姿もない。


一気に酔いも覚めてしまったTさんは、それからどうしても眠れずに、ずっとテレビを観て朝まで過ごしたという。