山道

山歩きを趣味にしている、ある人の話。
秋頃に神奈川と山梨の境目あたりの山を歩いていた時のこと。
特に人気のある山でもないので山道には他に人影もなく、色づき始めた木々を眺めながらのんびり歩いていた。
すると、前方から何かを勢いよく引きずるような音がする。
いきなりそんな音がしたのでいささか警戒しながらそちらを見ていると、道の向こうから緑色のものが現れた。
なんだあれ、と思ってよく見ると手押し車だった。荷台のついた、いわゆる猫車である。
そのよく見慣れた手押し車が、こちらに向かって進んでくる。
だが押している人の姿がない。
手押し車がひとりでに、後部を引きずりながら動いているのである。
下り坂を滑り落ちているというわけでもなく、誰かが動かしているかのように一定の速度でこちらに向かってくる。
思わず近くに寄って見てみたが、やはり無人の手押し車が勝手に動いているようにしか見えない。
荷台には何も乗っていなかったが、使い古された感じのありふれた手押し車だった。
数分間眺めていたが流石に気味が悪くなったので、それ以上追跡するのは止めて、動いてゆく手押し車を見送った。
手押し車はそのまま山道をずるずると辿り、坂を上りきった所で見えなくなったという。