暑くても服は着たほうが良い九十三日目


暑い日が続き、全裸で過ごす者も増える季節。
しかし勘違いしてはいけない。
暑いからといって忽然衣服を脱ぎ捨てるような者は真の全裸主義者(zenrist)ではない。
全裸主義者は気温湿度その他いかなる条件も気にすることなく服を脱ぐ。
暑い日も脱ぐ。しかし寒い日も脱ぐ。
暑くも寒くもない日も当然脱いでいる。
開放された彼らの肉体はその内包する自然を存分に謳歌する。


彼らを縛るものはただ法律のみである。
生まれたままの姿で往来を闊歩すると即刻御用、それは彼らも望む所ではない。
ゆえに彼らは全裸を家屋に隠す。
自室内の裸体は誰にも咎められることがない。
開放している筈の裸体は堅牢な壁に遮蔽され、決して衆目に晒されない。
しかしそれは――家屋が彼らの衣服となっているのではないか。
世界と自己を隔つ壁の数において、屋内の裸形は屋外の着衣と何の異なることがあろう。
ならば真の全裸とは――屋外の全裸なのであろうか。


否。


大空の下で衣服を脱いだとて、その青い空が、白い雲が、夜は煌く星屑が裸体を包む。
世界が、宇宙そのものが衣服となる。
人は自己を包むものを、何時までも脱ぎ捨てることができない。


ならば――全裸とはどこに在る。どこに在る?
全裸とは、言葉でしかない。
服を着ている、いないは問題ではない。
全裸は精神の中にこそ在る。
人が全裸になるのは、恐らく、とても簡単なことなのではないか。
全裸を思う瞬間、そこに全裸は在る。
人は常に――全裸と共に歩んでいる。