還暦六十日目


今年初めて蝉の声を聞いた。ニイニイゼミか。
山から離れているので近所にはあまりヒグラシが生息していないのだけれど、以前は山の方に住んでいたので夏にはヒグラシの声が付き物だった。
ヒグラシの声は数が多くなるとまた違った聞こえ方がする。タイミングが少しずつずれるせいで、波のようにうねったリズムになり、まるで鈴の音のようにも聞こえる。
夕方の山に入ると全方位からヒグラシの声が聞こえてきて、その奇妙にずれた合唱をずっと聞いているとやがて酩酊感を覚えてくる。自分と周囲の森との境界がじわじわ曖昧になってくる気がしてきて、大変心地がよい。



それとはまた別に、個人的には蝉の声は惨劇を暗示させるところがある。
昔から何となく脳裏に浮かぶ風景がある。
蝉の声が響く夏の森で、一人の女が必死に逃げている。それを追いかける人影。
やがて追いつかれ、絶望的な表情を浮かべる女に凶器が振り下ろされる。
短い悲鳴――その瞬間だけ、僅かに周囲の蝉が静かになる。
しかしすぐに何事も無かったかのように啼き始める蝉。
地面の上には血に塗れて動かなくなった女。啼き続ける蝉。……
このイメージは多分幼い頃に見たドラマか何かの記憶のつぎはぎに過ぎないだろうからどうでもいいのだが、こうした舞台装置として蝉はとても様になる。
蝉にとっては人が死のうが殺されようがお構いなしであって、その賑やかな鳴声が対比となって殺人の惨たらしさ、悲劇性を際立たせる。また、啼いている蝉自身もすぐに寿命を迎える存在であり、その儚さもまた悲劇と相性が良い。


それはともかくとして蝉は幼虫の方が美味しそうですね。