犠牲の四十四日目


写真の色がぼんやりして見えるのは多分湿気のせい。
今日は湿気が視認できそうな勢いだった。
窓を開けたら湿気が入ってきたのが判ったもんなー。



毎年この季節になると水の事故を伝えるニュースが頻繁に届く。
海には海の幸、山には山の幸があって人々に利益を齎してくれるのだけど、物事にはいい面と悪い面が必ずある。
いい所だけを享受することはできないもので、必ずどこかに悪い面の影響が出る。
それが水辺の事故であったり、山での遭難だったりするのではないかと思ってしまう。
そう考えるとそれらの事故は勿論個人の悲劇には違いないのだけど、大多数の利益のために差し出される生贄のようにも感じられてならない。


何でこんな話をするのかというと、生贄を求めるのは何も海や山に限ったことではなく、この青々とした水田も同様だからである。
水田には魔物が住む。
それは、毎年稲を実らせる代わりにどこかの農夫の命を求める。
台風が来た時に「畦の様子を見に行く」と言って出かけたまま戻らない人が毎年必ず出るのは、この魔物が呼ぶからに他ならない。
米はそういった犠牲の上に育つ。
だからよい子のみんな、食事の時には「いただきます」「ごちそうさま」を忘れずに言おうね!