はっけんの十六日目


生まれたばかりのオタマジャクシが泳いでいた。


ところで萌え米ですが。
いわゆるパッケージにかわいらしい少女のイラストを配したお米の商法です。
私の家の近くでも、隣町の農協が昨年から萌え米を始めたようで、幹線道路沿いに萌え絵の看板が設置されたりしました。
そういう時代です。


しかし待っていただきたい。米というのは稲の種子、厳密に言えば白米は胚乳です。
すなわちイネという植物のほんの一部に過ぎないのです。
我々は(無闇な主語の拡大)まだ視野が狭かったのではないでしょうか。
そう、米だけでなく、稲そのものの萌えを自覚する時が来ているのです。
否、とうの昔に来ていたのかもしれません。
そうです。古来、日本人が稲を女性として見てきた形跡があるのです。
弥生時代に稲作が始まってから、米は日本人の主食として食され続けてきました。
それゆえ米は神聖なものとされ、神への供物として捧げられたほか、それ自体も信仰の対象とされたのです。
そうして各地の神社に穀物の神が祀られるようになるわけですが、その穀物の神というのは女神なのです。
古事記』『日本書紀』に穀物の神として登場するのはオオゲツヒメトヨウケビメ、ウカノミタマです。
ヒメと付いている神様は女神だとはっきりわかるわけですが、ウカノミタマは記紀の中には性別が明言されていません。
しかしウカノミタマを祀る稲荷神社、その総本社である京都は伏見稲荷大社では、ウカノミタマを女神として祀っているとのことです。
すなわち稲を司る穀物の神は、みな女神という事になります。
萌え米が登場する遥か古より、日本人は稲に女神を見ていたのです。


季節は正に稲の生育期です。
稲が女神と見るならば、やがて訪れるであろう実りの秋を夢見ながら風に若葉を揺らす少女の時でありましょう。
これから、彼女達にはどんな毎日が待っているのでしょうか。
――そういう目で毎日稲の写真を見ると、毎日のごはんが今までよりもう少し、美味しく感じられるようになるかもしれません。