すごい

Fさんは高校生の頃、自転車で通学していた。片道四十分くらいの道のりで、途中に渓谷があり、赤い橋が架かっている。橋から見える位置には落差十メートルほどの滝があり、Fさんは通学途中のこの眺めを気に入っていた。
あるとき部活動で帰りが遅くなったFさんは、すっかり暗くなった道を急いでいた。田舎のことで人や車の通行はほとんど無かったが、月の明るい夜で見通しは悪くなかったという。
例の橋に差し掛かると、滝の水音が聞こえてきた。いつもなら滝を横目で見ながら通るところだが、流石に暗くて滝までは見えない。
橋の中ほどまで渡ったあたりで、人の声が聞こえてきた。
「すごいねっ、すごい、すごいっ、すごいっ」
甲高い声で、確かにそう言っている。他に聞こえるものと言えば滝の音だけで、聞き違えようがない。思わずFさんは自転車を停めた。
「すごいすごい、すごいよ、すごいっ」
声はまだ続いている。一体それほどまで何に感心しているのか。会話しているようにも聞こえない。ただ「すごい」と繰り返しているだけなのだ。
そもそも声の主はどこにいるのだろうか。声が聞こえるような距離に民家などないし、灯りも見えなかった。
よく聞くと、声は下のほうから聞こえているようだった。しかし橋の下の川までは十メートル以上高低差がある。
声はもっと近くから聞こえているように思えた。
――まるで橋の下に誰かぶら下がっていて、その人物が言っているような。
うっかりそんなことを考えたせいで、すっかりFさんは気味が悪くなってしまった。
とても橋の下を覗いて確かめることなどできなかった。もし本当に誰か橋の下にぶら下がっていたとして、それがまともな存在とも思えない。
周りに人影がない状況も不吉だった。何だかその声がFさんに向けて発せられているような気がした。
Fさんは急いでその場を去った。背中越しにいつまでも「すごい、すごい」と聞こえていた気がした。
翌朝、流石にまだ気味が悪かったが、他に通れる道もないのでFさんは同じ道を通った。その時は別段変わった様子もなく、その後も橋について変わった話は聞いていないという。