Uさんが当時付き合っていた彼氏の住むアパートを、初めて訪ねた時のことである。
持って行った食材で料理を作って、一緒に食事をした。後片付けを済ますと、テレビを観ていた彼氏がふらりと立ち上がった。
「面白いものを見せてあげるよ」
そう言うと彼氏はコップに水を汲んで、台所の床の真ん中に置いた。それだけである。特にコップにも水にも変わったところはない。
「このままちょっと放って置くんだ」
彼氏はそのままテレビの前に戻って、何もなかったかのようにまた寛ぎだした。Uさんは彼氏の意図がわからず、肩透かしを食らったような気がしたがとりあえず彼氏の隣に座った。
それからしばし一緒にテレビを観ながら過ごしていたが、そのうちUさんはふとお手洗いに行きたくなった。お手洗いは台所から繋がっている。台所の灯りを点けたUさんの目に先程のコップが映った。
しかし先程とは明らかに様子が違う。中の水が真っ黒に濁っている。墨汁を混ぜたような色だ。
「何これ?」
思わず口に出したUさんに、彼氏が笑いかけた。
「そう、それなんだよ」
「何したの、これ」
「何もしてない。俺、そっちに行かなかっただろ」
確かにコップを置いてから、彼氏は一度もそこに近づいていなかった。ならばこれは何なのか。上から何かが落ちて水に混ざったのかとも疑ったが、近くにインクや墨汁など怪しいものは見当たらないし、天井も綺麗なものである。
「どういうこと?」
「さあ。何だかわからんけど、とにかくそこに水を置いとくとすぐに真っ黒になっちゃうんだよね」
彼氏はそれを見せたかったらしい。
しかしUさんもそれをにわかに信じることはできなかった。彼氏が何か手品でもしたのではないかと思ったのだ。
そこでもう一度確かめてみることにした。先ほどのコップはそのまま除けておいて、食器棚にあったマグカップに水を入れて再び床に置いた。
その場に座り込んでじっと眺めてみるが、やはり何の変哲もない水である。少し待っても変化が見られない。じれったくなって、相変わらずテレビを観ている彼氏に問いかけた。
「これ、どのくらいで変わるの?」
「すぐだよ」
「まだ変わんないよ」
「まあ見てなよ」
そうは言うもののやはり変化がないので、だんだんUさんも飽きてきた。
何分経ったのか壁の時計を見上げると、水を置いてからまだ五分。
十分までは待ってやろう、と目をマグカップに戻した時にはもう水は真っ黒になっていた。