九十七/ 定期演奏会 その一

Sさんが所属していた吹奏楽部は、毎年六月に定期演奏会を開催していた。現在、同校の演奏会場は市の文化会館を使用しているが、当時はまだ文化会館が存在しておらず、市内にある市営体育館を借りて開催していた。
Sさんが三年生のとき、すなわち彼の現役最後の定期演奏会のときのことである。Sさんは副部長の役についていて、何かと運営について走り回る毎日を送り、大変ながらも充実していたことが印象に残っているが、そのことを抜きにしてもこのときの演奏会は記憶に鮮やかであるという。それはどうしてかというと、本番の前後にいくつか不審な出来事が起きたためであるらしい。


最初におかしなことが起きたのは本番前日だった。日曜日の本番に向けて、土曜日に会場への搬入とセッティングが済み次第リハーサル、という予定になっていた。
朝早くに部員一同、加えてトラック運転などの手伝いをしてくれる有志のOB達が高校へ集合した。前日の放課後に荷造りを済ませておいた楽器と機材をトラックに積み込み、手の空いた者から順次会場へと移動していく。会場に着いた者は到着したトラックから機材を降ろし、会場を設営する。そういう毎年恒例の手順だった。
その年のトラックでの搬送は全部で三回で終わる予定だった。問題が起こったのはその三回目の搬送である。三往復目のトラックが高校を出発したと、会場に電話で連絡があった。高校から市営体育館までは車で大体十五分かかる。しかし三十分経ってもまだ来ない。
土曜日の朝早くということでそれほど道路もまだ混んでおらず、それまでの二往復はすんなり到着していた。事故でもあったのだろうかと、Sさんはじめ部員達は不安になってきた。
もしかすると何か不慮の出来事により学校に引き返しているかも知れない。部長が高校に電話をかけてみた。しかし三十分前にトラックが出発して以来、部員は誰も残っていないと電話に出た事務の先生は言う。
まだ今のように携帯電話の普及していない時代の話である。ポケベルユーザーすら少なかった。トラックに直接連絡をつける手段は皆無である。探しに行こうかと言ってくれたOBもいたが、行き違いになっても困るし、到着するか何か連絡があるまでできる作業を進めておこう、ということになった。
トラックは結局、それから一時間以上経ってから到着した。一体何事だと血相を変えて迎えたSさんたちだったが、運転手のOB、そして同乗していた部員二人は妙に疲れきった青い顔をしている。事情はさておき、トラックも積荷も特に問題ないようだし、予定が押しているのでまずは作業を進めてしまうことにした。


トラックに乗っていた部員がリハーサル後に語ったところによると、こういうことだったらしい。学校を出発して少し進んだところで、道が混みはじめた。そこで少し回り道になるが、空いていそうな裏道を行こうということになった。
しかし一本細い道を入ったところで知らない場所に出た、という。トラックに乗っていたのはみな地元の人間だ。市内に、全く見当の付かない場所があろうとは思われない。しかし、その時は本当にどこを走っているのか皆目わからなかったという。
それでも数分走っていると大通りに出た。やっと場所の見当もつく。そう思って前方の案内標識を見上げた三人は、絶句してしまった。全く読めないのだ。日本語ではない、さりとて英語でもない、見たこともないような文字が並んでいるのである。はっとして見回せば、道沿いの商店の看板なども全て似たような文字が書いてあるばかりで、一つとして日本語が無い。加えて不気味なのは、周囲に人っ子一人いないことだ。歩行者も、先程は混み始めていた自動車も、どこにも見えない。車内はパニックになった。
引き返そうかとも思ったが、最早どっちから来たのかもよくわからない。仕方なしにひたすら道なりに進んでゆくと、やがて町外れにやってきた。市街地の外は、ずっと畑がつづいていたという。やはり標識の文字は読めない。通行人もいない。もう口をきく者は誰もいなかった。
無言で車を走らせていると、いつしか道沿いの畑が、水田に変わっていることに気が付いた。もうそこは皆が知っている隣町だったという。
それから急いで会場に向かうと、既に出発から二時間近く経過していた。しかし乗車中の体感では、精々三、四十分間くらいの出来事に思えたらしい。


結局トラックに乗っていた三人は、その日は作業をするどころではなくなっていた。また、話を聞いたSさんは後日そのおかしな町並みを探してみようとしたが、まったくどこだかわからなかったという。