八十九/ 隣のお姉さん

Aさんが大学を卒業して間もない頃のこと。家に若い女性が訪ねてきた。よく見れば、隣の家の娘さんである。Aさんより五つ年上で、幼い頃からよく面倒を見てもらっていてまるで姉妹のように仲がよく、またAさんの憧れの女性でもあった。
Aさんが大学に入った年に結婚して家を出ていたのだったが、どうやら最近離婚したらしく、実家に戻ってきたので挨拶に来たという。結婚生活がうまくいかなかったのは気の毒だったが、結婚以来このお姉さんとは疎遠になっていたのでAさんは内心再会を喜んだところもあった。
しかしその晩、おかしなことがあった。Aさんが寝ていると、何となく歌声のような、あるいは唸り声のような音が聞こえてくる。空耳かとも思ったが耳をすますと確かに聞こえる。くぐもってはっきりしないが、歌声のようでもあり、文章を朗読しているようでもあり、浪曲か何かを吟じているようでもある。
声はどうも女の人のもののようで、外から聞こえてくるようだった。女の人ということで、久しぶりに会ったばかりの隣のお姉さんのことが頭をよぎった。こんな夜中にどうしたのだろう、と窓越しに隣の家を見てみるが、明かりはついていない。この声はお隣からではないのだろうか。どこから聞こえてくるのか、確かめようとAさんは窓を開けた。
すると声は聞こえなくなった。あれ? と思って首を窓から外へ出してみるが、近くを通る車もなく、周囲はしんと静まり返って何の音もしない。
腑に落ちないながらも、音が聞こえなくなったのならまあいいかとAさんは窓を閉めた。その瞬間、また歌声が聞こえた。
(え? )
また窓を開ける。声は聞こえなくなる。
窓を閉める。声が聞こえる。
……理屈はわからないが、どうやら窓を閉めていると聞こえるらしい。
不気味ではあったが、とりあえずAさんは窓を細く開けて再び眠りについた。


その後なぜかお姉さんと会うことは滅多になかったが、あの妙な歌声は時々聞こえてきたという。
実家に戻ってきてからお姉さんがどう過ごしているのかAさんには全くわからないまま、半年ほどしてお姉さんは再び隣の家を出て行った。今はどこにいるか全く知らないという。以来、あの歌声も聞かなくなったらしい。