七十七/ 沸き立つもの

清掃業者でアルバイトをしていたOさん。
担当はショッピングモールの開店前の清掃だった。
ある時いつものようにモップをかけていると、通路の隅で何かが動いているのが見えた。ネズミかゴキブリかと思ってそっと近寄ってみたところ、それは動物ではなかった。かといってそれが一体なんであるのか、Oさんには見当がつかなかった。
リノリウムの床が、まるでそこだけ液体で、沸騰しているかのようにボコボコ泡立っていたのである。
あまりの不思議にOさんはしばらく見入っていたが、そうするうちにふと悪戯心が生まれた。持っていたモップを、泡だつ床に差し入れてみたのである。モップの先は何の抵抗もなく床に沈んだ。理由はわからないながら、やはり床はそこだけ液体になっているのだ。
しかしすぐにモップを引き上げようとしたOさんの手は、そこで止まってしまった。なぜかモップを引き上げることができない。どれだけ力をこめて引っ張っても、それ以上引くことができなくなっているのである。試しにまた少し下に動かすと、今度は先ほどのように抵抗なく沈む。だがそこから引き上げようとすると、どうしてもそれ以上動かせなくなってしまう。
一人の力ではどうしようもないと感じたOさんは誰かに手伝って貰おうとしたが、折悪しく見える範囲には誰もいない。それから十分ほど待ったが、早い時刻のことでやはり誰も来なかった。
まだ清掃作業は終わっていない。そのままそこに釘付けになっているわけにもいかなかった。仕方がないのでついに諦めたOさんは、とうとうモップを持つ手を離した。支えを失ったモップは、するすると床に沈んでいく。柄の先が沈んだ時にとぷんとひとつ波紋が立って、それが収まって以降は床は全く動かなくなった。手近な紙屑を投げてみたが、もう沈んでゆくことはなかったという。
そこは一階で地下室もない。モップがどこへ行ってしまったのか、探しようもなかった。モップを失くしたOさんはあとで社員にひどく叱られたが、失くした理由は説明できなかった。