七十四/ その後の暮らし

お祖母さんの葬儀が済んで少しして、Aさんが遺品を整理していると、使い込まれた大学ノートが押入れの中から二十冊近く出てきた。大事そうに仕舞ってあったので何だろうとぱらぱらめくってみると、日付と出来事が書いてある。日記だ。
一番古い日付は約四十年前、一番新しい日付は約十年前だった。三十年間の記録らしい。しばし整理の手を止めて文字を目で追った。だが、すぐにAさんは首を傾げてしまった。
字はまぎれもなくお祖母さんの筆跡である。しかし書かれているのはお祖母さんのことではなかった。といって、他の家族のことでもない。信昭という男性の日常生活が簡潔ながら克明に日々綴られているのである。何時に起床、何時にどこに行って誰と会った、という調子でどこまでページをめくっても信昭のことばかりだった。この名前にAさんは心当たりがなかった。
その日の晩、そのことをお父さんに話すと、信昭という名前を聞いたお父さんの顔色がさっと変わった。その名前に心当たりがあるのかと聞くと、お父さんはやや答えにくそうに言った。
「俺の父親、つまりお前のお祖父さんだ」
一人っ子だったお祖母さんは婿を取って、一男二女をもうけた。その一男というのがAさんのお父さんだ。しかしその婿というのがいささか道楽者で家財を浪費するということで、夫婦仲は好かったものの親戚筋からの圧力によって離婚する破目になってしまった。その離縁された婿というのが、信昭という名だったという。離婚して以来、お父さんも彼には会っていないという。Aさんもお祖母さんが若い頃に離婚したということは知っていたが、お祖父さんの名前は聞かされていなかった。Aさんの家では、信昭という名は長らくタブーだったのだ。
お父さんは、その日記を抱え込むと、しばらくの間毎日読みふけっていた。読み終わったお父さんは、どうにも腑に落ちない様子である。
「母さん、どうやって親父の生活を知ってたんだ……? 」
信昭さんは離縁された後は近くに住んでいなかったし、お父さん自身も彼が亡くなるまでその居場所を知らされていなかった。誰かに聞いたにしても、毎日の暮らしをこんなに細かく、誰が教えてくれるというのか。
そもそも、日記の記述自体が実際の信昭さんの生活を正確に記したものだという保証はない。しかしお父さんは何かと記述に真実味があると言う。信昭さん自身に確認しようにも、彼はもう十年以上前に亡くなっている。日記が十年前までしか書かれていないのは、彼がそこで亡くなったからだったのだ。書かれ始めたのは離婚した直後である。
当事者が二人ともこの世の人ではないので本当のところはもうわからない。日記は家族で協議の末、焼却することになったという。