七十一/ 嫉妬

Nさんはある頃から、毎晩うなされるようになった。
仕事疲れのせいかと思ってそのまま過ごしていると、今度は夜中に部屋のあちこちを何か固いもので叩き回るような音がする。それも当初は十分程度で静まっていたが、日に日に長い間続くようになり、じきに一時間以上つづくような日もあった。しかしこれも言ってしまえば音がするだけなので、不気味は不気味だがやり過ごせないこともなかった。
そうしてまたしばらくしたころ、Nさんは真夜中にふと目を覚ました。目を開けるとベッドの脇に誰か立っている。一人暮らしのNさんは思わず身を固くしたが、人影はただ立っているだけでピクリとも動かない。
よく見ると人影で陰になっているはずの、部屋の反対側にあるデジタル時計の文字盤が透けて見えていた。先程とは別の意味でNさんは緊張した。
恐る恐る人影を見上げてみて、あやうく悲鳴を上げそうになった。薄暗くて顔のつくりははっきりわからないが、表情だけは確かに読み取れた。自分をにらみつけている。明らかに眼差しから憎悪を感じる。
蛇に睨まれた蛙のようにNさんが動けずにいると、やがて人影はNさんから顔を逸らして、向きを変えた。ようやく開放してくれるのかと思えば、人影は今度は滅茶苦茶に暴れだした。片手に持っていたらしい棒かなにかで、部屋のあちこちを叩いて回る。手で棚の上をなぎ払う。決してNさん自身を叩こうとはしなかったが、暴挙には変わりない。
しかしよく見ると、叩いた時に大きな音はするものの、叩かれたはずの物は動かない。なぎ払った時も同様だった。部屋のどこにもまったく被害はないのだ。
それで僅かに安心すると、人影を観察する余裕が生まれた。すぐ傍に立っていた時にははっきり見えなかったが、少し離れた今はなぜか顔がよくわかる。それが誰だかわかって、はじめて人影の行動の理由も理解できた。
実はNさん、うなされるようになる少し前から、同僚の男性と交際していた。相手の男性はその少し前、別の同僚の女性と別れたばかりだった。今Nさんの前で暴れているのは、その女性だったのである。
女性はひとしきり暴れると、空中に溶けるように消えていなくなった。
翌日、Nさんは同僚の男性と別れた。その晩、久しぶりにうなされずに眠ることができたという。しかしその男性とも、暴れていた女性とも顔を合わせるのが苦痛になったので、翌月Nさんはその会社も辞めてしまったらしい。