音声ソフトとシャーマニズム

初音ミクやディレイラマといった、近頃流行の音声ソフトについて考えてみる。個人的にはディレイラマ派です。彼らは恐らく伝説の巌娜亜羅十六僧と密接な繋がりがある。知っているのか雷電ーッ!?


仮面劇というものは世界各地に古来より見られる芸能形式なのだが、これの意味するところは単に仮面を着用した人が役を演ずる劇、というだけではない。
仮面を着用するということは即ち別の人格を身につけるということである。今日でも役者が「役が降りてくる」という表現をするが、そのもっと物理的な表れが仮面劇である。近代に至って人間が内面的自己と外面的自己の違いを意識するようになってからは仮面というものが外面的自己になぞらえられたりもするようになるが、それ以前はもっと即物的に仮面は自分とは違う何かの人格だったはずである。
自分とは違う何かとは即ち人ではない何か、神霊や死霊や悪鬼であり、それは現代日本にも残る仮面劇の能や神楽神事などで仮面を着けて神霊が演じられていることからもわかる。神霊を演じることにより、かつて神霊が存在した聖なる時間が舞台に再現される。或いは報われぬ魂を演じることにより、それらの荒ぶる性が鎮められる。それが本来芸能が持っている儀礼性である。着用した仮面を通して神霊の人格を身に着けるというのは要するにシャーマニズムだが、注意するべきなのは仮面が神霊そのものなのではない、ということである。仮面を人が身に着けたときに神の人格がそこに宿る。人格には身体が必要なのである。これは、シャーマンが仮面を用いる以外に神霊を降ろす方法として、時に舞踊を用いることからもわかる。
で、音声ソフトである。音声ソフトには本来キャラクター性は必須ではない。しかし『初音ミク』や『ディレイラマ』といったものは本来声のみの存在だった音声ソフトに人としての外見を与えられている。『ディレイラマ』に至っては、歌に合わせて口や表情を動かしさえもする。つまり、身体を与えられているのである。これはなかなかに興味深いことだと思う。
元来音声ソフトは入力されたフレーズを発声するという性質から潜在的に芸能性を持っていたものであって、ならば身体を与えられたのもその芸能性から求められたものなのではないか、という考え方もできる。多分それはその通りで、これから先音声ソフトに与えられる身体は益々グレードアップしてゆくのではないだろうか。例えば、音楽に合わせて踊るグラフィックが実装されたり、或いは外部機器に接続することで実際に人形を音楽に合わせて動かせる、といった具合にである。もうどこかにあるかもしれないが。
しかし、この音声ソフトの「入力されたフレーズを発声する」という機能は意識されている以上にシャーマニズムと縁があるように思う。まあそもそも芸能とシャーマニズムは切り離せないものではあるが。
本来人格を持たぬソフトが入力された言葉なり歌なりを発するのは、人が仮面を被って神霊の人格を身に着けることと重なって見える。言葉を発する主体は人格だからである。もちろんソフトが発する言葉はユーザーが入力したものであり、言葉を発した主体は本来ユーザーにある。ソフトに人格はない。しかし『初音ミク』や『ディレイラマ』は姿かたちを与えられることにより、擬似的に人格を持たされている。従って、声だけのソフトに比べ、より顕著に芸能性とシャーマニズムを体現するようになったと言えるのではないだろうか。これは『初音ミク』のミクが「巫女」の転訛であることからも明白であろう*1。音声ソフトは、歌うことにより歌が背景とする物語を舞台たるハードウェア上に再現する。これにより聖なる時間を再現し、また報われぬ魂を鎮めているのである。
余談ながら『THE IDOLM@STER』のキャラクターを音楽に合わせて踊らせるMADムービーがやはり動画投稿サイトで流行している事実にも、やはり芸能性とシャーマニズムの表れが伺える。究極的には『初音ミク』とアイマス動画を足したようなものが出来上がるのではないかという想像がある*2

*1:そんな事実は勿論ない

*2:上のほうでも書いていますがアイドルを歌に合わせて自由に踊らせたり唄わせたりできるというような形で。もっと進めばそれが複数で演劇をできるまでになるかも。とここまで考えてそれは単なるCGアニメじゃないのと思った