四十五/ 閉切り

Yさんの実家は地域でも有数の旧家であって、古くは名主をしていたという。
そのため、今でも土地の祭りのある儀式は必ずY家で行われるという。
その儀式というのは、その年の当番がY家の離れで一晩過ごす、というものらしい。
ただ漫然と一晩過ごせばいいという訳ではなく、いくつかルールがある。
例えば、
「当番以外の者はその晩の間、離れに立ち入ってはならない」
「一晩中離れの戸は全て開けておかなければならない」
といったものである。
しかし、数年前の当番がこれを破ってしまった。
離れはY家では平素閉め切っていて、祭りの時にだけ開け放している。
戸は当番が籠るときに当番自身であけることになっていた。
しかしその年の当番は初めて祭りに参加する若者で、うっかり離れに入った後で戸を開けておくのを忘れてしまったものらしい。
それは明くる朝、他の者が離れに当番を起こしに行って初めてわかった。
玄関の戸は閉まった上に鍵が掛かっているし、縁側は雨戸まで閉まっておまけに窓も全て閉まっている。
しきたりを破ってしまった、困ったことになったということでとりあえず当番を呼んでみたのだが、返事がない。
仕方がないので母屋から鍵を持ってきて開けてみると、異様な臭気が皆の鼻を衝いた。
なぜか生臭い。川の水のような臭いがする。
奥へ入ってみると、当番は電燈も点けない暗い座敷の中で失神していた。
その部屋が一番臭いが強かったのだが、明かりを点けてみて皆は目を見張った。
畳の上に見たこともない足跡がべたべたと付いていたのである。
何者かが泥水か何かで汚れた足で歩き回ったものらしい。
大きさは中型犬の足跡くらいなのだが、形はその辺りに住んでいるどの動物のものとも違っていたし、人間のものとは似つかない。
奇妙だったのは、それがどう見ても四本足ではなく二本足で歩いた足跡であることだった。
おかしなことはまだある。
後に目を醒ました当番によると、その晩の出来事はこういうことだったらしい。
離れに行く前に既に随分酒を飲んで酔っていた彼は、戸を開けるのを忘れて眠りこけてしまった。
鍵を掛けてしまったのはつい習慣でということだった。
夜中、ふと目を醒ますとなぜか生臭い。
しかも暗い部屋の中を誰かが歩き回っている。
妙に小柄なそれは早足でぺたぺた歩き回っていたのだが、うっすら見えるその身のこなしがどうも人間臭くない。
怖くなってきてそのまま息を潜めて寝た振りをしていると、それが近寄ってきてべたべた体を触ってくる。
その触ってくるのがまた冷たい小さな手で、気味悪さに気が遠くなってそれ以来記憶がないという。
足跡はその部屋と隣の部屋にのみ残っていたのだが、この二つの部屋は縁側に面していて、そちら側以外に窓がない。
雨戸とその内側のサッシはずっと閉まっていたはずなので、足跡の主はどこから入ってきたのかがわからない。
結局何もわからずじまいだったのだが、その後も取り敢えず祭は続けられた。
当番だった彼は、しばらくしてから言動がおかしくなり、遂に入院して以来今もそのままだという。
やはり戒めを破ったのがいけなかったのだということで、これ以降はY家の者が責任を持って戸を開けることになったという。