三十一/ あっ、ごめん(10/100話)

Tさんという女性の話。
その晩彼女は寝苦しさにふと目を醒ました。
寝返りを打とうとしたとき、目の前に鏡がある、と思った。
何しろ目の前に自分自身の顔があるのだ。
自分と向かい合って横になっている。
しかし鏡にしてはおかしい。
Tさん自身は目を醒まして見つめているのに、向かい合う顔は目を閉じているのである。
Tさんは自分は寝ぼけているのかと思い、暗いなか目を凝らしてよく見てみた。
すると自分自身の顔とばかり思ったそれは、自分とは似ても似つかぬ他人である。
全く見たこともない男の顔だった。
何故それを自分の顔だと思ったのかがわからない。
鏡ではないのはわかったが、今度は急に怖くなった。
何しろ知らない男がいつの間にか隣で寝ているのである。
飛び起きようとすると、男がぱっと目を開けた。
男はひどく驚き慌てた様子で「あっ、ごめん」と言うと、ふっと掻き消えるようにいなくなった。
男がいたスペースが急に空いて布団がぱさりと落ち、かすかな汗の臭いがした。


Tさんはすぐに引越した。