十六/ 窓の内

Mさんの職場のビルには、ひとつだけ段ボールが張り付けられた窓がある。
といっても壊れているわけではない。ガラスはちゃんと嵌っているし、開閉も難はない。


Mさんの会社がこのビルに入ったのは三年ほど前のことだった。
引越し作業が終わり、仕事を始める日になってMさんの上司が顔を曇らせた。
オフィスの窓のひとつに、誰かの顔の脂がべったり付いていたのである。額と鼻筋、片頬がわかる。
上司は「せっかく気分一新して始められるところなのに汚いな。誰だ、こんなところに顔をつけたのは」とブツクサ言いながら近くにいた者に窓を拭かせた。そこに顔をつけた者については誰も心当たりがなかった。

次の日。上司はまた窓の汚れを指摘した。昨日と全く同じ場所、同じ形に汚れがある。
やはり誰も心当たりがない。皆首を傾げた。

その次の日。今度は上司ではなく、一番早く出勤したMさんが汚れを発見した。
一体誰がいつ、ここに顔をつけているのか。Mさんは薄気味悪く感じたが、とりあえずその場で窓を拭いた。
それからMさんは自分の机で仕事に取り掛かっていたが、十分ほどで他の社員がやってきた。
その社員は入ってくるなり、声を上げた。「あ、また付いてる」
Mさんがはっとして件の窓に眼をやると、さっき拭き取ったはずの汚れがべったりと同じように付いていた。
拭き取ってから誰も窓に近づいていないのはMさん自身よくわかっている。
「これは人の仕業ではない」と感じたMさんは、起こった事をそのまま上司に報告した。


結局、誰がいくら拭いても知らぬ間に汚れが付いている。
上司の指示で、やむなくその窓には段ボールで覆いがかけられることになった。