その日Hさんは帰りが遅くなって、暗い道をひとりで歩いていた。
前後に人通りは全くなかったという。
しかし、気が付くと前方から足音がしていた。
ハイヒールのものらしき、カツカツという音が聞こえる。
しかしどうもおかしい。
音の大きさからすると精々四、五メートルくらい先から聞こえてくるのだが、その音を立てているはずの人影が見当たらないのである。
暗いとは言っても街灯もあることだし、いくらなんでもそこにいる人ひとりが全く見えないというのは考えられなかった。
――音がどこかに反射して方向が変わっているのだろうか。
そう思ったHさんは、音が聞こえてくる辺りに近づこうと歩調を速めた。
すると足音は、Hさんから逃げるようにやはり速くなる。
間隔は縮まらない。
しかしやはり足音は前方の、誰もいないところから響いてくるように聞こえる。
――透明人間じゃなければ幽霊かな。
そう思ったHさんは更に速度を上げてみた。
足音もやはり速度を上げる。
――走って追いかけてみるか。
そうHさんが思ったとき、足音は一足先に猛スピードで遠ざかっていってしまった。
走って逃げて行ってしまったようだった。
怖がられたのだろうか、と思った。
「幽霊に追いかけられたなんて話はありがちだけど、幽霊を追いかけた話はなかなかないでしょう?」
Hさんはそう言って笑った。