九/ 天井

十数年前、ある老日本画家が亡くなった時のこと。
不慮の事故で腰の骨を折る大怪我をして以来床から出ることも儘ならず、数年来自宅で寝たきりの末の死だった。
朝方息をしていなかったのが家族に発見されたという。
すぐに医者を呼んだところ死亡が確認されたので、葬儀の用意が進められた。故人はそのまま寝かせておいて、その部屋に祭壇が設けられ、部屋の三方には天井から白幕が下げられた。
翌日の夕方から通夜が始められ、読経と焼香が済むと、故人が寝ている部屋から廊下一つ隔てた隣室で通夜振舞いの席が設けられた。その後多少の人の入れ替わりはあったものの、夜明けまでこの部屋に家族や弔問客が常に5、6人は詰めていた。
夜が明けて、さて今度は告別式だということで家族が準備のために祭壇の部屋に入ったところ、何かがおかしい。昨日とは何かが違っている気がする。
何だろうと思って部屋を見回してみて、一同仰天した。顔に白布を掛けられた故人が仰向けに見上げた、その天井一面に雲間に舞い跳ぶ天人たちが鮮やかな色彩で描かれているのである。
昨日部屋に白幕を下げた時は確かにそんなものは無かったし、昨夜はこの部屋は殆ど消灯していた。隣の部屋にはずっと誰かがいたので明かりがついたらすぐに分かったはずである。しかも、天井に絵を描くには踏み台や脚立などを使わないと並みの背丈の人間には不可能である。部屋には故人が寝かされ、祭壇が設えられているので踏み台を置く場所とて限られている。天井一面に描くにはどうにも無理がある。どう頭を捻っても、誰がどうやって何のためにここに絵を描いたのかさっぱり見当がつかなかった。
しかし、ふとその場の一人がその絵は故人の画風に似ているのではないか、と言い出した。成程、言われてみればそんな気もする。
故人は寝たきりになって以来体力もすっかり落ちてしまい、殆ど絵筆を執ることができなかった。
―――これは遺作なのではないだろうか。
理屈はともかくとして、その場にいた全員がそう感じたという。
とりあえず絵はそのままで、告別式はしめやかに執り行われた。読経の前に僧侶が天井を見上げて「ああ、これはいい絵ですねえ」と言ったという。
絵はその後もそのまま残されていたとのことだが、その家がつい最近に火事で全焼してしまい、絵も焼失してしまったと、この話を語ってくれた人は言った。老画家の弟子の方である。