七/ 色打掛

Aさんという中年女性がデパートの呉服売場の古着コーナーで、色打掛を見つけた。
朱色の地に金糸銀糸で花々の刺繍が施された鮮やかな一品で、ひと目で気に入ってしまい、手頃な値段だったこともあってその場で衝動買いした。派手なので自分ではとても着られないにしても、部屋に飾っておこうと思ったのである。
突拍子も無い買い物にAさんの夫は驚いたが、Aさんが随分気に入っているようなので好きにさせることにした。
打掛は早速客間に飾られた。


それから数日経ってからのこと、掃除をしていたAさんはあることに気が付いた。
床に落ちている髪の毛が何だかいつもより多い。
しかもどう見てもAさん夫婦のものではない、長い髪の毛が家中いたるところに落ちている。
随分おかしなこともあるものだと思ったが、その時はそれ以上気にはしなかった。


それからまた数日後の夜、Aさんの夫が帰宅するなり玄関先で「今、誰か来ていたのか?」と聞いてきた。
Aさんはその日はずっとひとりで家にいたので、そんなことはないと答えると、夫は急に血相を変えて客間にスタスタ入っていく。後を追って客間に入ったAさんに夫は「この打掛は手放した方がいい」と言う。見れば打掛は床に落ちている。
急なことで面食らったAさんだったが、あまりに夫の様子がおかしいものだからとりあえず理由を聞いてみることにした。


夫はいつもと同じように帰宅するところだったという。
家が見えるところまで来たところで、ふと家の窓に真っ赤な人影が見えた。既に周囲は暗く、その窓のある部屋も明かりが点いているわけでもないのに、その人影が真っ赤だということはよくわかった。人影はどうやら窓際に立っているらしい。
その時点では特におかしいとは思わなかったが、その窓は客間の窓だったので誰かお客さんかなと思って、帰るなりAさんに質問したのだという。しかし誰も来ていないというので、そこで初めて不審に思った。明らかにあれは人だった(ように見えた)。しかしそういえば、客だったのなら客間の明かりが点いていなかったのは不自然だ。
そこで急いで客間に行ってみると、やはり明かりは点いていないし、窓際にはっきり見えた人影もどこにもない。そこで明かりを点けてみると、先日買った打掛が床に落ちている。それを見た瞬間ハッとした。さっきの人影はこれと同じ色だった!


そこまで聞いたAさんは、それが本当なら不気味な話だとは思ったが、しかし人影は見間違いかもしれないしそれが打掛のせいであるとも限らないのだから、やはり手放す気にはならなかった。
そう伝えると夫は無言で打掛を拾い上げ、仔細に検分を始めた。数分して、裾のあたりで何か見つけたらしく顔を近づけてよく見ている。Aさんも近寄って見てみると、一箇所、裾の縫目がほつれて中身の詰め物が少し見えている。Aさんは当然中には綿が入っていると思っていたのだが、どうも綿にしては真っ黒である。夫がほつれた縫目を拡げて中のものを摘み出してみた途端、二人は絶句した。
中に入っていた黒いものは、三十センチ以上ある黒髪だったのである。細い感じからして女性のものだろうか。綿の代わりに中に沢山詰まっているらしく、後から後からいくらでも出てくる。一握りほど出てきたところで夫はそれ以上引っ張り出すのをやめた。
Aさんの中でもこの黒髪と、数日前に家中で見つけた黒髪が繋がった。あの髪の毛もここから出てきていたのか、と思った。しかし買ってきてからこっち、打掛は客間から全く動かしていない。髪の毛が家中から見つかるのは不自然だ。知らない間に打掛が家中をひとりでに動き回るイメージが浮かんで、そこでようやくゾッとした。
Aさんは引きつった顔で夫に言った。
「これ返してこよう、――いや、お寺に持って行こう」


もう片時も家に置いておきたくなかったので、出てきた黒髪と打掛を持って近所の菩提寺に駆けつけると、連絡はしていなかったが幸い住職が居合わせたので、訳を話して引き取ってもらうことにした。話を聞いた住職はあまり良い顔をしなかったが、特に文句も言わず引き取ってくれた。この住職は酒やギャンブルに溺れている生臭坊主として町内や檀家の間でも有名なので、果たしてちゃんとした供養なりができるのかと少し不安になったが、取り敢えず寺で受け取ってくれたからには何とかなるだろうと、Aさん夫婦は俄に安心して帰宅した。
果たして本当に打掛が原因だったのかどうかはともかく、それ以降Aさんの家では長い黒髪が落ちていることも、赤い人影を見ることもなかった。しかし打掛を預けて僅か一週間後、菩提寺の住職は何の予告も無く急にその町を離れ、数日して新しい住職が本山から派遣されてきた。急に住職が交代したことについて檀家に満足な説明は無かったが、新しい住職は品行方正な人格者だったので、経緯はどうあれ交代してよかった、そもそも素行を理由に交代したのではないかというのが専らの評判だった。

Aさん夫婦だけが、あの打掛と何か関係があったのではないかと思っている。