こんだけ萌えという言葉が一般化した以上、萌えは普遍的な感情なんでしょう。喜怒哀楽とかと同じように。最近萌えという名前がついただけで。私が柿の種や黒板消しクリーナーに感じる感情を萌えと呼んでしまうからかも知れませんが、そう思います。
果たして萌えという感情はそれほど一般化しているものでしょうか。
どの程度まで人口に膾炙すれば一般化したといえるのかわかりませんが。
ただ各々がそう呼んでいる感覚自体はともかくとして、「萌え」というのはあくまで言葉に過ぎません。
歴史的にみて言葉の意味や定義は用例で決まりますから、使われだしてからいくばくもない「萌え」の意味が安定しないのは無理からぬことと思います。
定義されるだけの蓄積を持たない「萌え」の実態を誰もが掴みかねているのはそういうことではないでしょうか。
現状では「俺の萌えはこれ」と発言する以上のことはできないのじゃないかと。
それでも己の萌えを信ずるのであれば、今出来得る事は自分の中の「萌え」を魅力的な形で多くの人に提示し、支持を得ることなんじゃないでしょうか。
あと『萌やし賞』は私も少しやってみたいですが私がやっても人が集まらないだろうなあ。
しばらくは応募者の側にいようと思います。
ああ、私がやるんだったら「必ず応募者自身を美少女として作中に登場させてください」とかいった条件を付けてみたい。応募者萌え。