一/ ぐるぐる

Sさんという男性は3年間交際した恋人に遂に結婚を申し込んだ。
恋人自身は結婚に乗り気だったが、しかし承諾するには両親に伺いを立てねばいけないという。
そういうわけで2人で彼女の実家を泊りがけで訪れたときの話である。
娘の結婚の決定権を握るような親ならば、今まで会った事もない男にすんなり娘をくれる可能性は低い。
Sさんはそう考えて、何としてでも説得する覚悟を決めていた。
しかし実際に会ってみると特に気難しい人たちでもなく、初対面のSさんを客人としてもてなしてくれた。
Sさんは彼女の両親に向かって単刀直入に結婚話を切り出すと、認めてくれるよう頭を下げて頼み込んだ。
だがその話となると、両親は即答を避けて翌日まで時間をくれという。
彼女の実家は長野の山奥にある旧家で、夜になってSさんは屋敷の一室を寝室としてあてがわれた。
客間として使われているらしい和室で、鴨居には先祖のものと思われる白黒の写真が何枚も額に入って飾られていた。
寝床に入ってしばらくは承諾を得られるか気がかりでなかなか眠れなかったが、道中の疲れからかいつの間にか寝入っていた。
そして何時間か経った頃、ふと人の気配で目が覚めた。
目を開くとまだ夜は明けていないようで、暗い部屋の中に何人もの人がいるのがわかる。
人影は6、7人ほど、いずれも壮年の男性で、みな和服姿だった。
状況をはかりかねて寝床に横たわったまま彼らを見上げていると、ただ立っていただけだった彼らが輪になって寝床の周りをゆっくり歩き始めた。
しばらく見ていてもずっとぐるぐる回っているだけである。
(一体この人たちは何がしたいんだ?)
わけが判らずその様子を見ているうちに、彼らのうち何人かは見覚えがあるような気がしてきた。
しかしすぐには思い出せない。
視線を泳がせながら考え込んでいると、部屋の一点を見てはっとした。
ぐるぐる歩いているうちの数人は、鴨居の写真の人物と全く同じ顔なのである。
(ああ、この家のご先祖様なのか)
奇妙にすんなり納得できた。
してみると和服姿なのも頷ける話である。
冷静に考えれば不気味な状況ではあったが、不思議と怖いとは思わなかった。
しかしただ歩いているのを眺めているのも退屈になってきて、もう一度眠ろうとした。
そうして目を閉じた瞬間、周囲がぱっと明るくなるのがわかった。
すぐに目を開くと、すでに朝になっていた。
正直寝足りなかったが、仕方が無いので起きてゆくと、彼女の両親は既に起きて居間で待っていた。
彼女の父親はSさんの顔を見るなり、「何かありましたか」と真顔で聞いてきた。
Sさんが昨晩あったことを話すと、父親はなにやら納得した様子で、母親のほうもしきりに頷いていたが、話を聞き終わると父親がSさんに向き直って言った。
「娘をよろしくお願いします」
Sさんにはさっぱり訳がわからなかったが、どうもその出来事があったお蔭で結婚を許してもらえたようであった。
後になって彼女にそのことを話したが、彼女もそんな話は初耳だったという。
「お義父さんも私も、死んだらあの輪の中に入るんでしょうかね?」
現在その屋敷に住むSさんは、そう語った。