窓の風

十二月のある日、Jさんの自宅アパートの隣家が火事で全焼し、住んでいた高齢の夫婦が亡くなった。
火事のときにはJさんは仕事中で自宅におらず、帰宅して初めて隣が焼けたことを知った。もうその時には鎮火済で、Jさんの住むアパートは外壁に煤が付いた程度で延焼は免れていたが、燃え移っても不思議はないくらいの距離だったので、知らない間にうちまで焼けていたらと思うと鳥肌が立った。
亡くなった夫婦とは偶に道端で挨拶をする程度の顔見知りでしかなかったが、翌週行われた葬儀にはJさんも参列した。
それから一年後、休日にJさんがアパート二階の自室で過ごしていると、突如カーテンがふわりと膨らんだ。窓から風が部屋に吹き込んでくる。
なぜか風が真夏のように熱い。そしてどういうわけか、焦げ臭い。
昨年のことがJさんの頭をよぎった。
弾かれたように立ち上がり、窓に駆け寄って外を見たが、特に煙や炎は見えない。眼下には火事跡が住宅地の隙間のようにぽっかり空いている。
そこで気がついた。窓が開いていないのだ。風が吹き込むはずがない。
窓を開けてみたが、外の風は冷たい。熱くも焦げ臭くもなかった。
Jさんは火事跡に向かって手を合わせてから窓を閉めた。部屋の焦げ臭さはその日いっぱい取れなかったという。

換気扇の声

Cさんは一時期長風呂をの習慣があった。
湯に浸かりながらタブレット端末でSNSや動画サイトを流し見て、そのまま一時間近く過ごすことが多かった。
そんなある夜、浴槽の蓋にタブレットを置いて動画を見ていると、時折音声が乱れる。
「なあ、おい」
そんな小さな声が動画の音声に時々挟まる。動画の内容とは全く関係ない声だ。
変な動画だなと思いつつそのまま見ていたが、次の動画に移っても相変わらず同じような声がする。これはおかしい。
もしかして動画の中の声じゃないのか?
そう思って動画の再生を停めてみた。
「おい、おい」
やはり聞こえる。どこからだ。
上の方からだ。
声の方を見上げると換気扇がある。
外からは近所の木の枝が風に揺れる音がする。風が換気扇に吹き込むとノイズが鳴って、それが人の声のように聞こえるのか。
あるいは離れたところの話し声が共鳴して聞こえるのか。
そういうふうに納得したCさんはまた動画を再生した。
「おい、よく見ろよ」
さっきよりもはっきり声がした。間違いなく人の声だ。換気扇から聞こえる。
やはりノイズというよりは誰かが話している声のようだ。換気扇の向こうはすぐとなりの家の柵と壁があるので人が立てるようなスペースはない。
おそらく近くの通りかどこかの部屋での話し声が響いているんだろう。
もうそれ以上声のことは気にせず、動画のほうに集中しようと決めた。
ところが今度はタブレットの画面の方がどうもおかしい。いつのまにか全画面表示になって、再生した動画とは関係なさそうな内容が流れている。
うっかり全画面表示のアイコンに触れてしまったのだろうか、それともウイルス感染だろうか。
画面をタッチしたりスワイプしたりするものの反応がない。相変わらず変な映像が流れている。
映像の中では暗い部屋の中に男が歩いている。
顔面には白い紙を紐で縛って仮面のようにしている。紙に穴を開けていないので前は見えていないのではないか。
上半身は裸で、痩せてアバラが浮いている。下半身には黒い染みの散った汚い布を巻いているだけだ。
足元の床には細長いゴムホースのようなものが散らばっている。
男が右から出てきて部屋をうろつき、また右に出ていったところで画面がまた元の動画サイトに戻った。
とにかく薄気味悪い映像だったが、目が離せなかった。
湯冷めしたのかそれとも変な映像を見てしまったせいなのか、Cさんは風呂から上がってすぐに震えが止まらなくなり、その夜から熱を出し三日寝込んだ。
それ以来Cさんは長風呂をやめて、動画サイトもあまり見なくなったという。

妹の友達

Eさんが高校生の時、小学四年生の妹が事故で亡くなった。信号無視の車が他の車を避けようとして歩道にいた妹に突っ込んだのだ。
両親の悲しみはそれは大きいものだったし、Eさんにとっても大きなショックがあった。
妹には優しくしていたつもりだったが、高校生と小学生だから生活のタイミングがずれることも多く、近頃はゆっくり話もしていなかった。こんなことになるんなら、もっと接しておけばよかった。そんな後悔がみぞおちのあたりに重く固まっていた。
葬儀が終わって数日経った頃、Eさんが学校から帰ってすぐ、インターフォンが鳴った。玄関の前には妹と同じくらいの年頃の女の子が立っている。
話を聞くと、妹の友達だという。落ち着いた印象の子だった。
葬儀に来られなかったからお線香を上げに来ましたというので、Eさんは礼を言って客間の祭壇に通した。
女の子は行儀よく座ると線香を上げ、静かに手を合わせた。
妹の死を悼んでくれることが嬉しかったので、女の子が祭壇から身を引いたところでEさんは話しかけてみた。学校での妹の思い出など尋ねると、女の子は寂しそうに微笑みながら、いくつかのエピソードを語ってくれた。
また来てね、妹も喜ぶと思うからとEさんが女の子に言うと、女の子はその言葉の通りにそれからも週に一度くらいの頻度でやってきて、線香を上げていった。そしてぽつぽつと妹の思い出や学校の話をして帰ってゆく。
来るのは決まって夕方で、それもEさんがひとりで家にいるタイミングに限られていた。
だからEさんが両親にその女の子のことを話したとき、両親は彼女が来たところを一度も見ていなかった。何ていう子が来てるの、と母が訊くのでEさんは答えようとしたものの、言葉に詰まった。
それまで五回ほど線香を上げに来て、名前も住んでいる地区も本人から聞いたはずなのに、いざ思い出そうとすると言葉にならない。思い出せないのだ。
確かに聞いて、今の今までわかっていたはずなのだが。
そこで母が知っている限りの妹の同級生の名前を聞いたり、妹のPTA資料で同級生の名前を調べたりしたものの、それらしき名前がない。
どういうわけかその女の子が訪ねてくることはそれ以来絶えてしまって、結局誰が来ていたのか謎のままだ。

足玉

Jさんが職場の近くの中華料理店で昼食を食べていた。
カウンター席にいたので横目で入口が見える。とはいえ食事の最中は食べることに集中しているので出入りする客に注意を払うことはないのだが、食べ終わるタイミングでちょうど入ってきた客にはなんとなく視線が向いた。
三十代くらいの男で、歩き方や表情に元気がない。のろのろと店の奥の席に向かっていったが、その足元に変なものが見えてJさんは二度見した。
男のすぐ後ろの床の上に、バレーボール大の玉が転がっている。しかしバレーボールのようにきれいな球体ではなく、多数の突起を持った妙にいびつな形をしている。目を凝らすとそれが何なのか理解できて、思わずJさんは食べたものが逆流しそうになった。
人の、おそらくは子供のものらしき小さな足が、足裏を外側にしていくつも絡み合いひとかたまりになっているのだ。突き出している突起はすべて小さな足指だった。
作り物なのか何なのか、見るだけで気持ち悪い。
そんなものが男の後ろについて音もなく床の上を移動している。
他の客は気づいていないのか見えていないのか、全くそちらに注意を払っていない。
男が座った席に店員がお冷を持って行ったが、やはりその奇妙な足のかたまりが見えていないのか、意に介していないようだ。
そればかりか、かたまりは店員の足に当たって転がったのでJさんは声を上げそうになるのをすんでのところでこらえた。
かたまりは勢いよく転がって机の下で見えなくなってしまった。
Jさんはすぐに席を立って勘定を済ませ、急いで店を出た。

 

よく利用する店だったのだが、それ以来なんとなく足が遠のいているうちに、半月ほど後に閉店してしまった。それからずっと空き物件になっているという。

胴上げ

Rさんがコンビニエンスストアのアルバイトに出勤した日のこと。
夜勤で夕方に店に行くと、駐車場の隅に男が六、七人ほど集まっている。照明に照らされたその風体が異様で、どれも泥や土埃でまだらに汚れた和服を着ている。服だけでなく顔も薄汚れているし、髪もボサボサに乱れている者ばかりだ。
ホームレスにしては和服を着ているのが腑に落ちないし、流石に汚れすぎている。
時代劇から出てきたような風体からして、映画か何かの撮影だろうか。それにしては機材を持った人がいないようだが、出演者だけが休憩しているのかもしれない。
それを横目に見ながら店に入り、仕事中の店長に尋ねた。あの着物の人たち、何です?
ところが店長はそんな人たちは知らないと言う。あの人たちですって、とRさんが駐車場を指さそうとしたときには彼らの姿はなかった。
何だったんだろうなと思いつつ仕事を始めたRさんだったが、それからすぐ弁当を買いにくるお客さんで忙しくなり、奇妙な男たちのことは頭から追いやられた。
夜九時頃に仕事も一段落して店長はバックヤードで休憩、Rさん一人でレジに立っていた。店内にお客さんの姿はなく、あとはもうのんびりできるかなと思ったところで出勤したときのことを思い出した。
そういえば変な人たちいたなと思って何気なく駐車場のほうに目を向けると、照明に照らされて数人の人影が見えた。土色の和服を着ている。
またいた!
バックヤードの店長に向かってまたいました、あの人たちです、と声を掛けると店長は怪訝な顔で出てきた。
しかし駐車場を見るなり顔色を変え、何だあれ、ちょっと声かけてくるわと言って出ていった。
Rさんが店内からガラス越しに眺めていると、店長はまっすぐ彼らのところに向かっていく。
店長はしばし彼らと何か話していたようだが、そのうちに動きがあった。
男たちが彼らのうちのひとりを胴上げし始めたのだ。どういうわけか、店長もそれに加わっている。
何かめでたいことでもあって、店長もそれを祝っているのか?
胴上げが終わると店長はそのまま店内に引き返してきた。
なんで胴上げしてたんすか、とRさんが尋ねたものの、店長は曖昧に言葉を濁して教えてくれない。
そして。
なぜかその時Rさんには、店長の顔が別人のように見えたという。どこがどう変わったとははっきり言えないので、別に変わったわけではないかもしれないのだが――。
とにかく店長が前からこんな顔だったようには思えなかったのだという。
店長はバックヤードにまた入っていくと、その夜は一度も出てこなかった。
駐車場の男たちはまたいつのまにかいなくなっていた。

脚上げ

Mさんが大学生だったある日、友人の部屋に三人で集まって過ごしていた。
するとベッドに腹ばいになってスマホを眺めていた友人がちょっとやめてよ、と言いだした。
Mさんともうひとりがそちらに目を向けると友人が脚を上げている。
何よ、ちょっと、と言いながら、友人は腹ばいになったままの体勢で脚だけを天井に向けて高く持ち上げているので、背中が弓なりに曲がっている。
まるでシャチホコだ。よくこんなポーズとれるな。
何してるの? ヨガ?
Mさんが問いかけると、友人は違うわよ! と怒鳴る。必死な顔だ。
誰が脚掴んでるの!? やめてよ!
友人はそう叫ぶが、Mさんたちの目には脚を掴んでいる者などいない。自分で脚を上げてふざけているにしては、表情が険しい。
そうしている間にも、脚は次第に上がっていく。脚が天井へとまっすぐ向いて吊り上げられるくらいになってきて、見ているMさんたちにも事態が飲み込めてきた。
こんなポーズ一人ではできない。何か変だ。
慌てて二人がかりで脚に取り付き、体重を掛けて下ろそうとするが、何か大きな力で上に吊り上げられているようで、びくともしない。
それこそ見えない何かが上から友人の足首を掴んで、ものすごい力で上に引っ張っているかのようだ。
友人はほとんど逆さ吊りのような体勢になって、涙ぐんでいる。
とにかくこのまま上に引き上げられるとまずい気がする。Mさんたちは全力で友人の脚を押さえた。
するとぷつりと糸が切れるように吊り上げる力が消えて、友人を力一杯ベッドに叩きつける形になってしまった。三人でベッドの上に倒れ込み、Mさんは体勢を崩してベッドから落ちた。
友人は肩を痛めてそれから一週間ほど湿布を貼っていた。
一体何が起きていたのか三人ともさっぱりわからなかったが、友人はその部屋に一人で過ごすのが怖くなって、少ししてから引越してしまった。

 

口論

友人が転職を機に引越すというのでFさんも手伝いに行った。
家具は引越し業者に運んでもらったので、段ボール箱三つを車に積んで新居のマンションに向かった。
荷解きを手伝い、謝礼に一升瓶二本もらってその日は帰った。
十日ほどしてまたその友人の新居を訪ねたときのこと。
部屋に入ると、引越し当日とは家具の配置が変わっていた。リビングに入って右の壁際に置いてあったオーディオ機器とテレビが反対側の壁に移動している。
右壁際に他の何かを置いたりしていないので、右側だけがなんだが殺風景になってしまって、左側は反対に雑然としてしまっている。
どうしてこんな配置にしたのか尋ねると、友人はスマホで動画サイトを開いて見せた。友人が撮った動画を投稿したのだという。
動画はその部屋の風景だった。壁際のオーディオ機器が映っている。移動させる前に撮ったものらしい。
部屋の風景には変化がないが、入っている音声がなにやら穏やかではない。
誰かが言い争っているような声が聞こえる。女の声だ。
何を言っているか明瞭ではないが、口調から激しく口論している様子が窺える。
動画はオーディオ機材の後ろに回り、コンセントプラグが抜けているところを映して終わった。

 

なにこれ? とFさんが訊くと、友人は見ての通りだよと言う。動画に入っている通りの声が、壁際に置いてあったスピーカーから突然聞こえてきたのだという。
配線がアンテナの役割をしてスピーカーから勝手にラジオ放送が流れ出す現象がある。
そういう話を聞いたことがあったので、友人はコンセントプラグを抜き、配線を外してみたものの、一向に声は止まない。
位置を変えてみたところ、反対側の壁に寄せたところで声が聞こえなくなったので、そのままそちらに置いてあるのだという。
今でもそっちに戻せば聞こえるのかな? Fさんがそう言うと友人はやってみれば、と言う。
そこでFさんはスピーカーをひとつ抱え上げて、元あったほうへ運ぼうと足を踏み出した。
「やめろ!」
大きな声がした。抱えたスピーカーから。
ビクッとして足を止めたFさんは友人と顔を見合わせた。
やめろってさ。友人が硬い表情で言う。
そうする。Fさんは頷いてすぐにスピーカーを置いた。

 

友人はすぐに投稿した動画を消し、一応半年我慢して住んだ後でその部屋から引越したという。