Kさんが高校生のとき、友人たちと一緒に下校途中のこと。
談笑しながら歩いていると、友人の一人が何か言いかけたところで唐突に言葉を切った。顔を見ると何やら呆然とした面持ちで他所を見ている。
そのままふいっとKさんたちの傍を離れて道路の反対側へと渡っていった。
その背中に向かっておいどうしたと声をかけても返事も振り向きもせずずんずん歩いていく。
あいつ何やってんの?
Kさんたちが眺めていると、彼は道路の向こうでキョロキョロ周囲を気にする素振りで何かを拾い上げた。
猫? 猫っぽいな。離れてるのによく見つけたな。いやなんであんなもん拾ってんだよ。こちら側ではそんなことを言い合った。
どうやら道路の向こうに死んだ猫が横たわっていて、彼はそれを拾ったようだ。車に轢かれたのか、自然死なのか、こちらからではよくわからない。
彼は猫を握ったまま道路脇の草藪へと入っていく。Kさんたちも道路を渡ってそれを追いかけた。
猫を埋めてやろうとしているのだろうか。そう思っていたところ、どうも様子が違う。
彼は猫を藪の中に置いて、その上にかがみ込むと両手でべたべた撫で回している。可愛がるような仕草でもなく、ねっとりと形を確かめるような触り方に見えた。
明らかに様子が変だ。
肩を掴んで声を掛けると、そこで初めてKさんたちに気付いたような素振りで返事をした。
直後に自分が撫で回しているものに視線を向けると狼狽えて飛び上がった。
あっ? 何だこれ? きったねっ!
話を聞くと、どうも今の今まで猫の死骸を触っている認識がなかったという。
Kさんたちと話しながら歩いていたはずが、ふっと静かになったと思うと周囲に誰もいなくなっている。
あいつら、俺をからかおうとしてるな?
見回すと道路の向かい側の藪に友人たちの姿が見える。それを追いかけていくうち、足元に何かがあったので拾い上げようとした。
そこでKさんたちに肩を叩かれたのだという。
しかしこの説明とKさんたちの見ていた姿はどうも食い違いがある。彼が何かを拾い上げたのは藪に入る前のことだ。拾う時に妙に周囲を気にする素振りだったのも気になるし、猫を撫で回していたねちっこい手つきも奇妙だ。
驚いて飛び上がった様子は嘘には見えず、とりあえず猫の死骸をいじっていたとは本人も思っていなかったらしいが、どうも何か誤魔化そうとしているような語り口で、本当は何か別のものを見ていたように思えた。
何かやましいものが見えていたのではないかと顔を見合わせたが、それ以上追求はしないでおいたという。
森の歌声
千葉に住むFさんのところに遠くから友人が訪ねてくることになった。
高速道路を降りたという電話があり、それならあと二十分くらいで着くだろうと思っていた。
しかし一時間待っても来ない。ナビがあるというから大丈夫だろうと思っていたが、なにか不都合があったのだろうか。しかし連絡もよこさないとは、事故でもあったのだろうか。
心配したFさんは友人の携帯に電話をかけてみた。すると電波の様子が悪いのか声が遠いものの、友人と話ができた。
友人の話では、現在位置がよくわからなくなったのだという。
高速を降りてから車のナビの案内する通りに走っていたのだが、森の中に差し掛かったところで急にナビの表示がおかしくなり、操作を受け付けなくなった。仕方なしにそのまま道なりに走っていたのだが、二十分以上森の中を走っても一向に森が途切れる気配がない。
対向車も後続車もなく、人の姿もない。
ただ、窓を開けているとどこかから歌声が響いてくる。大人の低い声と大勢の子供の声が混じっている。
距離が離れているのか、ほとんど歌詞は聞き取れないが、低い声で「ずん、ずん、ずん、ずん」と繰り返しているところだけははっきり聞こえた。知らないメロディだが、妙に陽気な歌だった。
誰かがいるなら道を聞きたいのだが、歌がどちらから聞こえてくるのかわからない。
不安になってFさんに電話しようとしたが、通じない。途方に暮れそうになりながらそのまま車を走らせていたところにFさんから着信があったのだという。
森?
Fさんの家から最寄りの高速道路出口の間に、そんな広い森など存在しない。仮に道を間違えて反対方向に行ってしまったとしても、そんな場所に心当たりがない。
その森、うちの近くじゃないから引き返したほうがいいよ。とりあえず友人にはそう伝えて一旦電話を切った。
五分後に友人から電話があった。
引き返したら森からすぐ抜けられた! どうして!?
森を抜けたらナビも回復したという。それから十五分ほどで友人は無事にFさんの家までやってきた。
友人は一泊して帰っていったが、帰り道では森に迷い込むことなく帰れたという。
梨畑
老人養護施設で働くRさんから聞いた話。
彼が働いている施設は玄関の反対側が梨畑に隣接している。
施設の一階からは梨畑の端しか見えないが、二階の窓からは並んで植えられた木々の奥まで見渡せる。
ある日の午後、Rさんが二階に上がっていくと、同僚の介護士が窓際で手招きした。怪訝な顔をしている。
何かあったんですか、と寄ってみると、同僚は窓の外を指差して言った。ねえあれ、NさんとFさんじゃない?
指差すほうを見ると、梨の木の間に三人立っている姿が見える。
目を凝らすと三人のうち、二人の姿に見覚えがある。同僚の言う通り、それは入居者のNさんとFさんという、どちらも80代の男性だ。
二人ともこちらを向いて直立している。無表情で、何か話しているようにも見えない。
なんであんなところにいるんだろう。
一緒にいるもうひとりが連れ出したのだろうか。
そのもうひとりが妙な、というか場違いな風体をしていたので、NさんFさんより目を引いた。
パーティーにでも出席するような、背中の開いた淡いピンクのドレスを着た若い女、のように見える。ただしこちらに背を向けているので顔は見えない。
お団子にした後ろ髪と白い首筋が印象的だった。
なんであんな格好で梨畑に? NさんFさんと何してるんだ?
隣接しているとはいえ、梨畑は施設とは無関係の農家の敷地だ。NさんとFさんは外出中にあんなところに入り込んでいるのだろうか。それともあのドレスの女が二人をあそこに連れ込んだのだろうか。
状況がわからないが、連れ戻しに行ったほうがいいだろうか。そもそもNさんとFさんは外出予定はあっただろうか。
別の点も気になる。NさんとFさんはふたりとも自力では歩けず、移動は常に車椅子を使っている。ところが梨畑では何にも掴まることなく、一人で立っている。
まさかあそこまで歩いていったのだろうか。
Rさんと同僚が確認してみると、意外なことが判明した。
NさんとFさんは外出などしていなかった。その日は誰かが面会にくることもなく、ふたりとも自室と共同スペースを行き来していただけだった。
その姿は他の職員たちが目にしている。いつの間にか外に出ていることはありえなかった。
梨畑にいたのは確かに同一人物に見えたのに。
外出していないなら問題はないのだが。
再び二階の窓際に行ってみると、あの三人の姿はもうどこにもなかった。
それ以来Rさんが梨畑で変なものを見たことはないが、後輩職員が同様のものを見たと言い出したことは何度かあったという。
声真似
Cさんが大学を卒業した年の夏、お母さんが亡くなった。交通事故だった。
お母さんはつい数ヶ月前に卒業と就職のお祝いをしてくれたばかりで、冬にはお父さんと二人で海外旅行をする計画を立てていた。Cさんもこれから働いて稼いだお金で今までの感謝の印にプレゼントでもしようと考えていた。
そんな矢先、あまりに突然のことで気持ちが追いつかなかった。
葬儀は済ませたものの、亡骸になったお母さんを見ても、お骨を骨壺に納めても、何だか薄紙一枚隔てた向こう側の出来事のようだ。
理性ではこれは事実だと理解しても現実感がない。
職場では覚えることが多く、与えられた仕事をこなすことで精一杯で、必死に毎日を過ごすばかりで気持ちの整理をする余裕もなかった。
そんなある日の早朝。ベッドで寝ていたCさんは誰かに呼ばれて目を覚ました。
はっとして上体を起こしたものの、一人暮らしのアパートだ。他に誰がいるはずもない。
夢か、と眠い目をこすったCさんだったが、自分を呼んだ声がお母さんの声だったように思えてならなかった。
子供の頃はよく寝坊して、母さんに起こされてたなあ。
そうか。もう母さんには起こしてもらえないのか。
そう思ったところで、不意に涙がこぼれた。
母さん、死んじゃったんだなあ。
それからというもの、Cさんは自室で寝ているときに、たびたび誰かに呼ばれる声で目を覚ますようになった。
女性の声、かつてお母さんに起こされたときと同じような調子で何度か名前を呼ばれる。
何度も続くうちに、これは夢ではないのかもしれないと思うようになった。母さんが見守ってくれているのだろうか。
始めたばかりの仕事でへとへとになっているのを心配して、声をかけてくれているんだろうか。
そう思うとこれ以上心配をかけないよう、気を引き締めて頑張ろうと前向きな気持ちが湧いてきた。
そうして半年が過ぎた。
まだ時折、明け方にお母さんらしき声が聞こえることは続いていた。
一人前になって心配をかけるようなことがなくなれば、いずれ聞こえなくなるのだろうか。Cさんはそう思っていた。
ある朝のこと、またCさんは誰かに呼ばれて目を覚ました。もう朝か、といつものように起き上がろうとした。
ところがいつもとは調子が違う。身体が重くて起き上がれない。
疲れが溜まってどこかおかしくなったのだろうか。痛いとか苦しいとかいった感覚は特になかった。
顔だけ横に向けることができたが、そうすると眼の前に変なものが見えた。
小さな小さな女が顔のすぐ前に座っている。片手で握れるくらいの大きさだ。
厭にてかてかと光沢のある顔をしている。
女は両手で布に包んだ何かを抱えている。
赤ン坊だ。
女はCさんに向けて、抱えた赤ン坊を差し出してきた。
あっ、いやだ。
そう思ったところで反射的に身体が動いた。
布団を跳ね飛ばす勢いで起き上がってみると、全身汗でびっしょりだった。
小さい女はどこにもいない。
それを境にして、お母さんの声で目を覚ますことはなくなってしまったという。
聞こえなくなったのも寂しいには寂しいんだけど、あの小さい女が母さんの声を真似ていたように思えちゃって、それが忌々しくって――とCさんは語った。
ナマズ
Rさんの家は利根川の堤防から徒歩五分くらいのところにある。
だからRさんはよく利根川の堤防の上を散歩する。堤防の下の川縁にはよく釣り人がいるのだが、Rさんは滅多にそちらまで降りていくことはない。
どういうものが釣れるのかというと、コイやフナ、ブラックバス、ソウギョ、ハクレンといったたぐいで、特にバスやソウギョ、ハクレンあたりは大きいので釣り人たちにも人気らしい。また近年では外来種のアメリカナマズも増えてきており、釣り針にかかることが多いともいう。
釣り人の中にはマナーの悪い者がいるようで、釣った魚を河原に放置してあることは決して珍しいことではない。そうした魚は野鳥や野良猫に食い荒らされ、食べ残しは腐って悪臭を放つ。
Rさんが堤防の下に降りないのはそういう悪臭の発生源に近寄りたくないということもあるのだが、理由はもうひとつある。
ある日の夕方、いつものように堤防の上を散歩していたRさんが何気なく堤防の下に目を向けると川緑の芝の上に大きな魚が横たわっている。
頭が大きい。話に聞いていた外来種ナマズだと思った。大方釣ったはいいが持て余した釣り人が放りだしていったんだろう。
このときはまだ、Rさんは川縁に降りていくことに抵抗がなかった。だからナマズの死骸を間近で見てやろうと近づいていった。
ナマズは全長一メートル程度だったが、頭部以外は食い荒らされてしまっていて、肉や内蔵はあまり残っていなかった。
骨と頭だけになっているせいか、あまり悪臭もしなかった。
ひとしきり眺めて満足したRさんは踵を返して堤防の土手を登り始めた。その直後、背中越しに湿った音がした。
反射的に振り向いたRさんは、妙なものと目があった。
人の形をしている。
だが頭が異様に大きい。頭の幅が肩幅と同じくらいある。
そして目が厭に離れていて、顔の両端のほうについている。
大きな口には、先程のナマズの死骸を咥えていた。
呆気にとられたRさんを尻目に、その何かは四つん這いになると飛ぶようなスピードで走り去って、あっという間に視界から消えたという。
あまりに変なものを見たので、Rさんも今見たものが果たして現実だったのかどうか自信が持てなかった。
しかしナマズの死骸は実際その場から無くなっていた。
それ以来、Rさんは堤防の下に降りないようになった。
アカミミガメ
Mさんの父は釣りが趣味だが、あるとき釣り道具を持って出かけた父は魚ではなくカメを持って帰ってきた。
釣りをしていたところ近くの岸にいたので、網で捕まえたのだという。
緑がかって細かい縞があり、目の後ろに赤い斑がある。北米原産、ミシシッピアカミミガメだ。ペットが逃げたかそれとも誰かが放流したかして、野生化したものがMさんの住む町でも増えている。
外来種だし、そのまま放置するのもよくないと思って連れて帰ってきた。そう言って父はそのカメに家康と名付けて飼い始めた。どうして家康なのかというと、単に父が当時読んでいた時代小説の主人公が徳川家康だったからだ。
初めは警戒していた家康も次第に人に慣れて、やがて父の手から直接餌を食べるようになり、家族からも可愛がられた。
Mさんの妹は当時大学生で、あるとき友人たちと廃墟に肝試しに行った。
妹たちが行ったというのは市内にある廃墟で、もとはある企業の保養所として使われていた三階建ての施設だが、その企業が潰れてからはろくな管理もされないまま荒れる一方になっている。
確かに何か出そうな雰囲気の場所ではあり、肝試しにはもってこいの場所かもしれないが、廃墟で怖いのは心霊より生きた人間のほうだ。誰が潜んでいるかわからない。
そんなところに行ったというのを数日経ってから知って、Mさんも両親も妹の軽率さを叱った。
別に何も怖いことなかったし、ただ荒れてるだけだったよ。妹はそう言って平気な顔をしていたが、何もなかったからいいというものではない。
家族会議の末、妹はもうそういうところには行かないと渋々約束した。
この件に関係あるのかどうか判別はつかないのだが、妹が廃墟に行ったという日からMさんの家では奇妙なことが度々起きていた。
誰もいない風呂場から水を流す音が聞こえ、覗いてみてもバスタブも床も乾いたままだったり。
緩衝材のプチプチシートが、誰も触れていないのに一斉に音を立てて弾けたり。
閉めたはずのカーテンが勝手に開いていたり。
廊下で足音が一人ぶん多く聞こえたり。
家族は妹が廃墟から変なものを連れてきてしまったのではないかと疑ったが、妹はそんなはずはないと言い張った。廃墟では何も変なことはなかったし、家でもおかしなことは見ていないという。実際、家で奇妙なことが起きても妹はその場にいないことがほとんどだった。
お祓いでも頼んだほうがいいだろうか、とりあえず塩でもまいておこうか、とMさんと両親は話し合った。結果的には、そんなことはせずに済んだのだが。
奇妙なことが起こり初めて半月ほど経った頃、Mさんが家のリビングを通りかかると家康の入っている水槽の水に波が立っているのが視界に入った。
今日も元気に動いているなと何気なくそちらに目を向けると、水中でさかんに動いているのはカメではなかった。
大きさは五センチほど、白くて細い手足をばたつかせている。頭のあたりが黒くぼんやりして見えるのは長い髪がまとわりついているのか。
Mさんは目を疑った。
小さい女が泳いでいる。
水槽に近寄って目を凝らしたが、確かに人の形をしている。手のひらに乗るサイズの裸の女だ。
泳いでいるのか溺れているのか、とにかく手足を動かして浮いたり沈んだりしている。その動きで水が波立ち、ぴちゃぴちゃ音を立てた。
小人だ。どうしてこんなものが。
作り物には見えなかった。
網で掬ってみようか、と思ったところに、いつの間にか近づいてきていた家康が、女の後ろから素早く食いついた。
女は手足をばたつかせたが、家康は獲物を逃がすことなく、十秒かそこらで丸ごと呑み込んでしまった。
どういうわけかその日以降、Mさんの家で怪現象はぱったり止んでしまったという。
わりばしを拾う
二十年ほど前の五月、Rさんが三歳の娘と近所を散歩していたときのこと。
手を繋いで歩いていたところ、ふと気づくと娘が反対側の手に細長いものを握っている。割り箸だった。
なんでそんなものを持っているのだろう。家から持ってきたはずもないから、Rさんが気付かないうちにその辺で拾ったのだろうか。
しかし振り回したり口に入れたりすると危ない。ほら、ママに見せて、と言うと娘は素直にそれを差し出した。
割っていない、真新しい割り箸だった。少なくとも汚れはついていなかったが、その辺で拾ったものなら何が付着しているか分かったものではない。
近くのゴミ箱にでも捨ててしまおうと再び歩き出したところで、手元に熱を感じた。
視線を落とすと、摘んだ割り箸が真っ黒になっている。
反射的に放り投げそうになったが、思い留まってよく検めてみた。
先程は真新しい割り箸だったはずが、すっかり消し炭になっている。火が出ているところを見ていないのに、いつのまにか燃え尽きていた。
摘んでいた指もわずかに熱さを感じたような気がした程度で、火傷ひとつ負っていない。
何が起こったというのだろう。普通の割り箸ではなかったのだろうか。
原理はともかくとして、そのまま持っていると手が真っ黒になる。娘にも触れさせたくない。
Rさんが消し炭を傍の側溝に放り込むと、ゆっくり流れていった。
この件について夫や周囲の人に話したかどうか、昔のことなのでRさんは覚えていないという。
そして時が経ち、娘が成人して就職した後のことである。Rさんが家で昔の持ち物を整理していると、古いノートが出てきた。
その表紙を見ただけで昔の思い出が蘇ってきた。これは日記だ。
子育てをしていた頃は目が回るくらい忙しかったが、後になればいい記録になるだろうと思って毎日数行ずつ日記をつけていたのだ。
懐かしさについ整理の手を止めて、ぱらぱらとページをめくってみた。
すぐに違和感があった。横書きで日記をつけているのに、ページの隅に一行だけ縦で書き込みがある。
「五月十日、わりばしを拾う」
読んだ瞬間、ずっと忘れていたあのときの、道端で割り箸を手にした光景が脳裏に蘇った。
ページをめくると次のページにも、その次のページも同じあたりに同じ文言が書かれている。
ほとんどのページに同じような筆跡で同じ文が書き込まれていた。Rさんの字ではない。
夫や娘の筆跡でもなかった。
誰が書き込んだものなのかわからない。何のためにそんなことをこんなに書き込んだのかもわからない。
折角の思い出の日記帳ではあったが、気味が悪すぎて、そのまま保管しておきたくはなかった。
修正液でその書き込みの部分を塗りつぶし、全ページコピーを取って、ノート自体は捨ててしまったという。