ポスト

Wさんが通勤で使う駅までの途中に郵便局がある。
ある夜、帰りにその前を通りかかるとポストの投函口に白い物がはみ出している。街灯の光を受けて、白い手袋かなにかが投函口に挟まっているのが見える。
誰かの悪戯か、あるいはうっかり忘れていったのか。どうせ明日には郵便局の職員が気づくだろうが……。
そう考えながら通り過ぎようとして、ふと視界の端でその手袋が動いたような気がした。
怪訝に思って再び視線を向けると、手袋の指が二本、バタバタ動いている。
どういうことだ、と近寄ってみると、そもそも手袋ではなかった。
小さな人間の下半身が投函口に挟まっているのだ。その真っ白な脚がもがくように動いている。平泳ぎの脚のような、妙な動きだ。
人形にしては動きが生々しい。これ、上半身はどうなってるんだろう。
引っ張り出そうとして手を伸ばしたところでそれはズルっと投函口の中に落ち、蓋が音を立てて閉まった。
ポストの中で何かが動くような気配はない。
Wさんは急に寒気を覚えてその場を立ち去ったという。

胡瓜

バスで通勤するRさんが帰宅する途中のこと。
窓際の席で外を眺めながらぼんやりしていると、通路側から声がした。
「隣いいですか」
どうぞ、と反射的にRさんは答えながらそちらに視線を向けたが、誰も立っていない。
あれっ、俺に言ったわけじゃないのか返事して恥ずかしいな、と思いながら車内を見回しているところで隣の席に人が座る感触があった。誰かが座った振動があり、椅子が少し沈んだ。
しかし隣に人の姿はない。手を隣の座席の上に泳がせてみても空気を掻くばかりだ。
気味が悪くてそれ以上何をすることもできないまま、体を縮こまらせて顔を外に向けた。
それからRさんが降りる停留所までは隣に誰も座らなかった。Rさんは降りるときに隣の席の前をまたぐようにして通った。


その夜にRさんは夢を見た。
いつもの通勤バスに乗っている。満席なのでRさんは通路に立っている。
しかしひとつだけ空いている席があった。周りの立っている乗客は誰もそこに座ろうとしない。
Rさんもそこに座るのは嫌だった。なぜだか知らないがその席を見るのも怖い。
空席から目を逸らすと周囲の乗客がみなRさんの方を見ている。
その乗客たちが一斉に背伸びをした。いや、背伸びをしたわけではなく顔だけが伸びている。
顔が胡瓜のように細長く上に伸びていって、バスの天井に当たるゴツゴツという音がした。
自分の頭が同じように伸びてしまわないように慌てて頭を押さえたところで目が覚めた。
なぜか顔がヒリヒリ痛い。鏡を見てみると、顔中に引っ掻いたようなミミズ腫れがいくつも走っていたという。

跳ねもの

Uさんが親戚の法事のために東京から山梨へ移動中、午前八時頃のこと。
妻と二人、車で山道を走っていると前方の上空になにか浮いている。
鳥かと思ったが近づくにつれてシルエットがはっきりしてきて、どうも鳥らしくない。どんどん大きく見えてくる。どうやらこちらに向かって斜めに落ちてきているようだ。
地表に落ちる直前にはっきり見えたそれは、手足を大の字に伸ばして髪を振り乱した人の姿だった。
驚いてブレーキを踏んだが、次の瞬間それは落ちてきた勢いそのままに道路脇でぽおんと跳ね上がり、瞬く間に後方に消えていった。
何だ今の、人形か? でもあんなに跳ねるわけないな……何だあれ。
Uさんがそう呟くと妻が呆然とした顔で言った。
天狗じゃないの?


それ以来Uさんと妻はこの道を天狗の道と呼んでいて、その後も親戚の家に行くときに何度か通っている。だが変なものを見たのはこの一度きりだという。

トラロープ

Kさんが結婚して間もない頃の話。
夜中に散歩がてら近所のコンビニまで行こうとすると、妻も一緒に行きたいというので二人で家を出た。
コンビニは歩いて十分ほどのところで、車で行くほどの距離ではない。もう午前零時を過ぎていて、あまりうるさくするのも良くないので無言で二人並んで歩いた。
途中に国道51号があり、ここを渡るとすぐコンビニなのだが、このときは国道に車の通りが全くなかった。
いつもなら深夜でもこの道路に車がいなくなるようなことはない。少なくともそれまでそんな光景は見たことがなかった。
珍しいこともあるんだな、と妻と話しながらKさんは国道を渡った。一旦渡りきったところで、妻がふと何かを見つけた。
なんだろ。紐?
妻が指差すほうを見ると、国道の路上から細長いものが垂直に伸びている。近寄ってみると黄色と黒の縞になったナイロンロープのようだ。いわゆるトラロープである。
これが道路のアスファルトから直立していて、見上げても上端はどこまで伸びているのかわからない。
わからないのは暗くて上がよく見えないせいだが、少なくとも十メートル以上は伸びている。風のせいか、上の方がいくらか揺れて見えた。
なぜそんなものがあるのだろうか。このロープはよく工事現場などで使われているイメージがあるから、もしかするとここは工事中なのだろうか。だから車は通行止めになっていて走っていないのだろうか。
だが何の工事でロープをアスファルトの上にぴんと立てておくのだろう。どうやって立てているのかもわからない。
もっとよく見ようとしてKさんはロープの根本にしゃがみこもうとしたが、その瞬間に視界がぱっと明るくなった。
直後にけたたましくクラクションが鳴らされる。
慌てて二人が道路脇に下がると、何台もの車が目の前を通り過ぎていった。国道にはいつものように車が行き交っている。
これがつい数秒前まで車が全くなかった道路だろうか?
そういえばあのロープは、と思って見回したものの、どこにもそんなものはなかった。

花柄の浴衣

Wさんの家の近所に農協があり、その駐車場の隅にもう何年もの間、同じ車が放置されていた。
白いミニバンで、タイヤが全てパンクしている。農協の職員がどう考えているかわからないが、とにかくずっと同じところに置いてある。
ある夜、帰宅途中のWさんがここを通りかかると例のミニバンのスライドドアが開く音がした。
ぎょっとして目をやると車内から若い女の人が降りてくる。花柄の浴衣を着たきれいな人だ。
その人がきれいなだけに、放置された汚い車から降りてくるのが全く不似合いに思えた。
季節は春先で、とても浴衣で出歩くような時期ではない。
おかしい。普通じゃない。
呆然と立ち止まってその光景を見ていたWさんに、浴衣の女性は軽く会釈して立ち去った。浴衣の背中は建物の陰ですぐに見えなくなった。
なんであんな廃車から出てきたんだろう、とミニバンに目を戻すと、スライドドアが閉まっている。
開く音が聞こえて女性が降りてきたのに、閉じる音は聞こえなかった。いつ閉じたのだろうか。
そもそもあんな廃車のドアがスムーズに開くものだろうか。


そんな体験をWさんが妻に話すと、妻も目を丸くして言った。今思い出したけど、私もそれ一回見たことある。
それからいくらも経たないうちに、ミニバンは撤去されていたという。

茶鳴り

高校生のEさんが放課後の教室で友人と話していた。
そこへもうひとりの友人がやってきて会話に参加してきたが、すぐに怪訝な表情でこう言った。
なにか鳴ってない?
携帯かな、と確かめてみるが特に着信も通知もない。
いやそうじゃなくて、なんかお祭りみたいな、と友人は首をひねる。
Eさんたちも耳を澄ましてみた。
外で運動部が練習する掛け声、音楽室で吹奏楽部が練習する音、廊下で響く足音。
そんないつもの放課後の音に混じって、確かに祭囃子の笛や太鼓のような音がする。吹奏楽部の鳴らす楽器とは違い、もっと近くから聞こえる。
音するね、なんだろ。Eさんたちが聞き耳を立てて探すとすぐに音の出どころがわかった。
目の前の机に置いてあるペットボトル。Eさんが校内の自動販売機で買ったものだ。飲みかけのミルクティーが入っている。
ここからかすかに祭囃子が鳴っている。
どういうこと?
Eさんたちはそれぞれ耳をペットボトルに近づけた。確かにペットボトルから音が出ているようで、これに耳を近づけたときが一番はっきり聞こえる。
何これ不思議、なにかに共鳴したりしてるのかな。全部飲んだら音変わったり聞こえなくなったりするかな。
友人がそう言うのでEさんは残っていたミルクティーを飲み干した。
空になったペットボトルはまだ鳴り続けている。パッケージのビニールも剥がしてみたが何の変哲もない単なるペットボトルだ。
なにかに共鳴しているのだとしても、周囲に同じような音がない。ペットボトルからははっきり笛太鼓、鉦を鳴らす音がする。少なくとも市内の祭りでは聞いたことのない曲だ。
なんでだろうね、と話しているあいだにだんだん音が遠くなり、じきに聞こえなくなった。
どこで笛吹いたりしてたんだろ、とEさんが言うと友人は二人揃って首を傾げた。
笛なんて聞こえなかったでしょ。二人ともそう主張した。
友人たちに聞こえていたのは、お神輿を担ぐような大勢の掛け声と歓声だという。
Eさんにはそんなものは全く聞こえていなかった。どうして聞こえていたものが違うのか不思議だった。
少し迷ったが、ペットボトルはすぐ捨てたという。

サッカーコート

Oさんが高校三年生の時の話。
受験に向けて勉強に励んでいたOさんは、授業のない土日にも学校の自習室に通っていた。家でも勉強はできるものの、自習室には他にも勉強に来ている生徒たちがいるので、自分も頑張らねばという気分になれるからだ。
ある土曜日にも午前中から自習室で勉強して、午後三時頃に切り上げて帰ることにした。
自習室のある棟から校門までの間にサッカーコートの横を通る。その日はサッカー部が他校を招いて練習試合をやっているとのことだった。
試合は白熱しているようで、コートの内外から声援が飛び交っていた。サッカー部以外の生徒たちもコートのフェンスの外に並んで見物している。
Oさんはスポーツに興味がないのでそんな様子をなんとなく眺めながら通り過ぎようとしたが、ある一点を見てつい足が止まった。
サッカーコートの中ほどの地面から、人の上半身が突き出しているのだ。地面に下半身が埋まっているのかと思ったが、視線の先で上半身が移動している。下半身が埋まっていては動き回れるはずがない。上半身だけが芝の上をうろうろ動き回っているのだ。
体操服姿で髪を短く刈った男の上半身だ。腕を動かすことなく滑るようにうろついている。走り回る選手たちに交じってのろのろと動き回る。表情は見えない。
しかしコート内の選手たちはそんなものなど見えていないのか、全く気にする様子もなく試合が続けられている。Oさん以外の見物人たちも特に気にしている様子はない。
見てはいけないものを見たような気がした。
もしこのまま見ていたら、ついて来たりしないだろうか。そう考えたOさんは、視線を逸らして足早に学校を出たという。