夢中の手

Fさんは幼い頃から何度も同じ夢を見たという。

ふと気がつくと頭上に誰かの手のひらがあり、Fさんの頭を押さえつけようとしてくる。
必死に避けようと頭を反らすが、手は執拗に追ってきて振り切れない。
やめて、誰か助けて、ともがいているうちに目が覚めるが、全力で走った後のように全身が汗まみれで鼓動も激しくなっている。

幼い頃にはこの夢を見ると夢と現実の区別がつかず、起きてからも手から逃れようと泣きわめきながら走り回り、両親を困惑させることも一度や二度ではなかった。
成長するにつれてそこまで錯乱することはなくなったが、相変わらず二、三ヶ月に一度くらいの頻度で同じ夢を見た。

大学を卒業して都内で就職したFさんが、残業で帰りが遅くなった夜のこと。
終電の一本前に乗ったFさんは、残業の疲れで睡魔に襲われた。いつも乗る電車より車内が空いていてリラックスできたこともあり、いつのまにか座席で眠り込んでいた。
そしていつものあの夢を見た。
いつものように手から逃げるうちにはっと我に返った。帰りの電車の中だ。
しかし目の前には手のひらがある。
まだ夢の中なのか、と思ったところで違いに気がついた。目の前に誰かが立っている。
その誰かはFさんが目を覚ましたことに気がついたのか、すっと手を引いた。
ねずみ色の背広を着た初老の男だった。知らない顔だ。
男はすぐに身を翻すと静かに立ち去り、隣の車両へと姿を消した。不気味なので後を追う気にはとてもなれなかった。

この出来事からもう十年以上経つというが、それ以来Fさんはなぜか手の夢を全く見なくなったという。