書斎の足音

Iさんのお父さんが単身赴任で家にいなかった時期の出来事だという。
当時中学生だったIさんが夜中にふと目を覚ますと、隣の部屋を誰かが歩き回る足音が聞こえた。
隣の部屋はお父さんが書斎として使っているが、そのお父さんはいない。こんな夜中に誰が書斎に入っているのだろうと思ったが、眠いので再び目を閉じた。
その後もふと夜中に気がつくと、隣の部屋から足音が聞こえるということが何度もあった。
さすがに気になってお母さんとお姉さんに尋ねたが、二人とも知らないという。寝ぼけたか夢でも見てたんでしょ、と一蹴されてしまった。
しかし確かに足音は聞こえる。一体書斎で何をしているのか、右に左に忙しなく動き回る足音だ。聞き間違えや気のせいとはどうしても思えない。
どうしても気になったIさんは自分の目で確かめることにした。
次に足音に気がついた深夜、Iさんはベッドを下りると音を立てないように自室のドアを細く開き、廊下の様子を窺った。灯りは点いていないが、隣の足音は続いている。
ドアが開いているはずの書斎からも光は漏れていない。真っ暗な書斎の中を誰かが歩き回っているのか?
そう考えると怖くなってきた。
しかし好奇心の方が勝ったIさんは、ドアをもう少し開くとそこから上半身を乗り出して、書斎を覗き込んだ。

 


――いた。
書斎をぐるぐる歩き回っているのは、浴衣を着た若い女性だった。歩き回る動きでショートカットの髪がふわふわと揺れる。
だが、顔はぼんやりとしてはっきりしない。
後から考えてみると、そもそも暗い部屋の中で顔以外がはっきり見えたことの方がおかしいと気がついたが、その時は顔が見えないことのほうが不気味だった。
あんなのがいたのか!?
慌てて首を引っ込めてベッドに駆け込んだIさんは、頭まで布団をかぶると両手で耳を塞いで朝まで震えて過ごした。
翌日お母さんにこのことを話すと、はじめは笑って取り合わなかったお母さんが、浴衣を着た女と聞いて初めて顔色を変えた。
どんな柄の浴衣だった? と真顔で聞き返されたのでIさんが見た通りに説明すると、お母さんは少しの間難しい顔で黙り込んだ。
それからこう言った。――少しの間、お母さんのベッドで寝な。あんたのベッドでお母さんが寝るから。
理由はわからないものの、Iさんはその日の夜からお母さんと部屋を交換して寝た。

 


四日後、お母さんからもう自分の部屋で寝て大丈夫だと言われたが、その言葉の通り、それ以降は書斎から足音が聞こえることはなくなった。
その四夜の間に一体何があったのか、どうしてもう大丈夫だとわかったのかはIさんが尋ねてもお母さんは言葉を濁して教えてくれなかった。
ただ、しばらく経ってからIさんがお父さんにこの件について話したときにも、浴衣の女と聞いたお父さんが顔色を変えて無言になったので、やはり言えない何かがあるのだと察したという。