底なし沼

二十年近く前のこと、Oさんがまだ小学生になる前のことだという。
平日の午後、お母さんが居間で洗濯物を畳んでいると玄関の方から激しい泣き声が響いた。
はっとしてそちらに向かうと、玄関から入ってすぐの廊下の床にOさんがしゃがんで泣いている。
だがよく見てみるとしゃがんでいるのではなく、Oさんの腰から下が床に埋まっていた。
どういうこと?
床は木の板張りだが、割れたり穴が空いているような様子はない。不可解なことに、Oさんの上半身だけが床から生えている状態だ。
一体どうしたの、何したらこんなふうになるの、と問いかけながら掴んで引っ張り上げようとしたが、それよりも早くOさんの体は見る見るうちに頭まで沈んで声も聞こえなくなった。まるで底なし沼だ。
すっかり取り乱したお母さんはOさんが沈んだあたりの床板を叩きながら名前を呼んだ。
返事はない。
そこへ玄関がガラッと開いて、おばあさんと手をつないだOさんがニコニコしながら帰ってきた。
泣きながら駆け寄ったお母さんに、おばあさんが怪訝な顔をした。
お母さんはたった今の出来事を話したが、おばあさんはそんなはずはないという。
幼稚園から今連れて帰ってきたところなのだから、Oさんが家にいたはずがないというのがおばあさんの話だった。
だいたい床に人が沈んでいくはずがない。昼寝して夢でもみたんだろう――おばあさんがそう決めつけるので喧嘩になり、それからしばらくお母さんとおばあさんは口を聞かなかったという。