兄帰る

Hさんが高校生だった時のこと。
ある日帰宅すると、母から「今日、お兄ちゃん帰ってくるんだって」と聞かされた。
六つ年上の兄は就職して家を出ていたが、そうやって時々帰ってくる。
月に一、二回は顔を合わせているのでHさんも特別嬉しい訳ではなかったが、兄が帰る時は夕食が多少豪華になるので楽しみにしていた。
それからHさんが自室に戻って宿題を片付けていると、隣の部屋に誰かが入った音が聞こえた。
隣は兄の部屋である。
もう帰ってきたのか、早いな、とHさんが思っていると、続けて隣の部屋からは壁越しに話し声が聞こえてきた。
ボソボソ話しているから内容は聞き取れないものの、確かに兄の声だ。
兄一人の声しか聞こえないところから考えて、どうやら電話をしているらしい。
Hさんが宿題をやっている間ずっと、壁越しに声が聞こえ続けていて、お陰で今ひとつ宿題にも集中できなかった。
もし仕事関係の電話だったら仕方がない、と思いながらもあまりに長く兄が通話し続けているので、だんだん我慢ができなくなってきた。
ちょっと文句を言ってやろうか、と部屋を出たHさんだったが、廊下に出た途端になぜか兄の声がしなくなった。
そればかりか、兄の部屋のドアが全開になっていて、中には誰の姿もない。
えっ?じゃあ今まで聞こえてたのは何だったんだ?
Hさんが呆気に取られている所に、玄関が開く音がして、今度は本当に兄が帰ってきた。


しかし、壁越しに聞こえていたのも確かに兄の声としか思えなかったという。