Kさんのお祖父さんが若い頃の話だという。
近所の川に一人で釣りに行った。
岸に腰を下ろして釣っていると、背後で呼ぶ声がした。
「おい……おい」
ほんのすぐ傍から聞こえているようなのに、見回しても誰の姿もない。陰になるような場所もない。
それって動物の鳴き声とかそんなのじゃないの、と話を聞いたKさんが尋ねると、お祖父さんは首を横に振った。
おい、と呼ぶ声に交じって何かぶつぶつと呟いたりするのも聞こえて、間違いなく人間の声だったという。
お祖父さんはこれは狸だか狐だかの仕業ではないかと考えた。
声の相手を探そうとその場を離れた隙に、釣り上げた魚を盗られてしまうのではないか。
そこでお祖父さんは聞こえないふりをして、釣りを続けることにした。
それからしばらくして声が止んで、お祖父さんはまた周囲を見回した。やはり誰の姿もない。
その頃には夕飯のおかずになるくらいには釣果があったので、お祖父さんは道具をまとめて帰宅した。
すると出迎えた家族が変な顔をする。
鏡を見てみると、いつの間にかお祖父さんの唇にはべったりと口紅が塗られていたのだという。

貝掘り

友人と一緒に海に貝掘りに行った人の話。
砂が盛り上がっているところを狙って掘るとアサリがいる。このあたりかなと目星をつけて砂地を掘っていると、硬いものに当たった。
砂をどけると確かにアサリだ。ごろごろと二十を越えるくらいの数は固まっている。これはしめたぞ、とまとめて掘り出して持ってきたバケツに入れた。バケツを持ち上げるとずっしり重い。
こんなにいたよ、と少し離れたところで掘っていた友人に見せに行ったところ、バケツを覗きこんだ友人は変な顔をした。

 


ここまで来て何拾ってるんだ?

 

そう言われてバケツを見ると、中にあるのはアサリなどではなかった。
真っ赤に錆びた古釘が数十本、どっさり入っている。

いつの間にすり替わったのだろう。さっき掘り出したのは確かにアサリだったはずなのに。
しかし埋め戻すのも気が引ける。釘は他所に捨てることにしたものの、結局その日は全く貝が採れなかったという。

赤いランドセル

乳酸菌飲料の配達の仕事をしていたOさんの話。
配置換えで、それまで担当したことのない地域に初めて配達に行ったときのこと。
台地の上に造られている団地で、途中で十五分ほど曲がりくねった坂道を登っていく。
不案内なので車のナビを頼りに初めての道を辿っていったが、何度も上り下りを繰り返していて、一向に台地の上に出る気がしなかった。
しかしナビの示す通りに走っていれば遠回りだったとしてもいずれば目的地に着けるだろう、と思いながらゆっくり進んでいると、前方の道端に小学生の行列が見えた。
左手にコンクリートで固められた法面、右手にガードレールがある一本道だ。
みんな赤いランドセルを背負い、行儀よく一列に並んで道路の右側を歩いていく。
午前十時頃のことである。
――もう下校なのかな、今日は何かの行事とかで午前中だけだったんだろうか。
そう思いながら車を走らせ、小学生たちの姿がはっきりわかる距離まで近づいた。
赤い。
十人ほど列をなして歩いている小学生たちの、頭のてっぺんから手足の先まで、身体が全部真っ赤な色をしている。ランドセル以外もすべてが絵の具を塗ったように赤い。
それだけではない。
歩いているように見えた小学生たちは、足を動かしていなかった。
どの子も手足をまっすぐ伸ばして直立の姿勢をとったまま、路面を滑るように移動している。
うわっ、とんでもないものを見た!
Oさんはすぐにその子たちを追い越そうとアクセルを踏む足に力を入れたが、すぐに思い直してブレーキを踏み、静かに車を停めた。他の車がいないのを幸いに、そのまま路上で待った。
小学生の列は同じスピードのまま向こうへと去っていき、後ろ姿がどんどん小さくなる。
完全にそれが見えなくなってから、ようやくOさんは車を動かした。
それからものの数分で車は目的地に着いた。
翌週、同じ団地に配達に行ったときにはなぜか前回の半分ほどの時間で到着できたという。

つないだ手

Nさんが小学生のときのこと。
両親と一緒にデパートに出かけた。Nさんは迷子にならないように、お父さんとずっと手をつないで歩いていた。
お母さんはちょっと見に行きたい売り場があるということで二人を置いてどこかに歩いて行ってしまい、Nさんはお父さんに連れられて文房具売り場に行った。
しばらく文房具を眺めながら過ごしたがお母さんはなかなか現れない。飽きてきたNさんはお父さんに向かってつまらないからどこか他の所に行こうよと言った。
お父さんは、もう少ししたらお母さんも来るからそうしたら美味しいものを食べに行こうと言う。
仕方がないのでお父さんの手を握ったままぼんやりとお母さんを待っていると、少しして近くからNさんを呼ぶ声がした。
お父さんがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。どこ行ってたんだ、探したぞと言っている。
えっじゃあこっちは誰なのとつないだ手を見ると、握っていたのは肩からすっぱり切り落としたような腕だけだった。
驚いて手を離すとその腕は陳列棚の向こうに引き込まれるように見えなくなった。向こう側を覗いても誰もいなかったという。

仏間の写真

東京で勤めていた会社が倒産して職を失ったTさんは富山の実家に戻った。
地元で就職先が見つかるまでは実家に居候することにしたのだが、高校生の頃までTさんが使っていた部屋はもう物置にされていた。
仕方がないのでTさんは仏間に寝起きすることにした。
仏間の畳に布団を敷いて横になると、欄間に掲げられた写真の額が視界に入る。
曾祖父母と祖父母、そして若くして亡くなった大叔母の顔写真だ。
ある朝、Tさんが布団から起き上がるとなぜかこれらの額が欄間から降ろされて壁に立てかけて並んでいる。
両親に尋ねてみてもそんなことはしていないという。確かに、寝ている周りで額を下ろす作業をすればTさんも目を覚ましそうなものだが、全く気が付かなかった。
むしろ両親からはTさんがやったものと思われて、元に戻しておけよと言われる始末だ。
渋々Tさんは額を元通りに欄間に掛けておいたが、その数日後にも同じことが起きた。
やはり朝になると額が布団の脇に立てかけられている。
なんだか遺影から急き立てられているような気がしたTさんは、気長にやろうとしていた就職活動に本気で取り組むことにした。
それが伝わったのか、再就職が決まるまでの間、額が欄間から下りていることは二度となかった。

親子

前夜から雪が降り続く午後のこと。
当時高校生だったKさんが帰宅途中、傘を差したお母さんと小学生の女の子が並んで前方を歩いていた。
楽しそうに言葉を交わすその背中を眺めながら歩いていたKさんだったが、そのお母さんの肩越しにもう一つ顔が覗いた。
肩の向こうから幼い男の子がこちらを見てにっこり笑いかけてくる。無邪気な笑顔にKさんも思わず顔をほころばせた。
すぐに男の子の顔はお母さんの頭に隠れて見えなくなったが、そこでふと疑問が湧いた。
――あの男の子、お母さんに抱っこされてるのかと思ったけど、お母さんは両手がふさがってるな。どうやってるんだ?
お母さんは左手で傘を持ち、右手に手提げ袋をぶら下げている。小さい子供を抱っこできる様子ではない。
ならば抱っこ紐を使って胴体に男の子をくくりつけているのか。
しかしその数分後、赤信号でKさんがその親子の横に並んだ時に横目で見てみると、お母さんは誰も抱っこなどしていない。
あの男の子はどこに消えた?
そもそもあれは誰だったのか?
背筋が冷たくなったのは雪のせいだけではなかった。
Kさんはそれ以上その親子を見ないようにして足早に立ち去ったという。

夜中のベル

Fさんの奥さんがある時こんなことを言った。
最近、夜中に二階から自転車のベルが聞こえるの。
夫婦の二人暮らしで、寝室は一階にあるから夜には二階に誰もいない。
二階には就職して家を出た娘が以前使っていた部屋と、物置くらいしかない。もちろん自転車など置いてはいない。
Fさんはその音を聞いていないが、目覚まし時計が何かの拍子に鳴っているのだろうか。
その夜、Fさんは寝ているところを奥さんに起こされた。
またベルが鳴ってるの。絶対おかしいわよ。
目をこすりながらFさんが階段の下まで行ってみると、確かに上からチリリンチリリンと、自転車のベルのような音が何度も聞こえてくる。
気になるなら自分で見てくればいいのに、と奥さんに向かってぼやきながら二人で階段を上がっていった。
どうやら音は娘が使っていた部屋から聞こえるようだ。
ドアを開けて仰天した。
畳の上に一台の自転車があり、そのベルがひとりでにチリンチリンと鳴っている。
なんでだ、と呟きながらFさんが部屋に足を踏み入れようとすると、奥さんに腕を掴まれた。
なんか動いてる……。
言われて部屋の中に目を凝らすと、自転車の周りを白い煙のようなものが人の形をして、うろうろ歩き回っている。
部屋の明かりを点けようとドア脇のスイッチを押したが、全く反応しない。
気味が悪いのでそのままドアを閉めると、同時にベルの音が止んだ。


すぐに神社に頼んでお祓いをしてもらうと、それ以降ベルの音はしなくなったという。